筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、運動神経細胞が徐々に失われ、筋力低下、嚥下障害、呼吸障害へ進む神経変性疾患である。原因は一つではない。遺伝子変異が関与する家族性ALSもあれば、明確な家族歴や既知の原因遺伝子が確認されない孤発性ALSも多い。こうした多様性の中で、複数の病型に共通し得る標的として注目されてきたのが、細胞内でATPをつくるミトコンドリアの機能異常だ。東北大学を中心とする研究チームは、ミトコンドリア機能を高める低分子化合物Mitochonic acid 5(MA-5)が、ALSモデルショウジョウバエと患者由来細胞で複数の異常を改善することを示した。成果は9月23日付のJCI Insightに掲載された。[1][2]
研究を進めたのは、東北大学の豊原敬文教授、阿部高明教授、青木正志教授、鈴木直輝准教授、及川善嗣医師、羅予涵大学院生、京都大学の倉永英里奈教授、国立精神・神経医療研究センターの青木吉嗣部長、村松里衣子部長、慶應義塾大学の岡野栄之教授、森本悟特任教授、曽我朋義特任教授ら。変異SOD1型ALSショウジョウバエ、ALS患者由来皮膚線維芽細胞、患者由来iPS細胞から作製した運動神経細胞という三つの系でMA-5を評価した。[1]
ALSでなぜミトコンドリアを見るのか
運動神経細胞は長い軸索を持ち、筋肉へ信号を届け続ける。細胞の維持、軸索輸送、シナプス機能には大量のエネルギーが必要であり、その中心を担うのがミトコンドリアである。ALSでは、ミトコンドリアの形態異常、ATP低下、酸化ストレス、軸索内輸送の障害などが繰り返し報告されてきた。[2]
ALSの約10%は家族性とされ、SOD1、TARDBP(TDP-43)、FUS、C9orf72など多数の遺伝子が発症に関わる。残る多くは孤発性で、単一の原因では説明できない。遺伝背景が異なっても、エネルギー不足やミトコンドリアの動態異常が共通して現れるなら、そこを標的にする治療は一部の遺伝型だけに限定されない可能性がある。[2]
MA-5はどこから来た化合物か
MA-5の歴史はALS研究から始まったわけではない。東北大学の研究グループは、ミトコンドリア病患者の細胞でATP産生を改善する化合物を探すため、植物ホルモンのインドール-3-酢酸(IAA)誘導体をスクリーニングし、2015年にMA-5を報告した。正式な化学名は4-(2,4-difluorophenyl)-2-(1H-indol-3-yl)-4-oxobutanoic acid。患者由来線維芽細胞のATP量を増やし、ストレス条件下で細胞生存を改善した。[3]
その後の研究で、MA-5はミトコンドリア内膜のクリステ形成に関わるmitofilin/Mic60に結合し、ATP合成酵素の二量体化・高次複合体形成を促してATP産生を高めると報告された。電子伝達系複合体I〜IVを直接刺激するのではなく、ミトコンドリア内膜の構造とATP合成装置の配置に作用する点が特徴とされている。[4][5]
MA-5はミトコンドリア病を対象に臨床開発も進んでいる。2021年には成人健常者56人を対象とする第I相試験が開始され、安全性と薬物動態が評価された。その後、2025年にはミトコンドリア病患者を対象とした第II相臨床試験が開始された。重要なのは、これはミトコンドリア病での臨床開発であり、ALS患者を対象とした試験ではないという点だ。[6][7]
まず、SOD1変異ALSのショウジョウバエ
研究チームは、ヒトSOD1 G85R変異を運動神経に発現させたALSモデルショウジョウバエを使った。SOD1は活性酸素から細胞を守る酵素だが、一部の変異型SOD1は異常構造や凝集を起こし、家族性ALSの原因となる。[8]
このショウジョウバエでは運動能力が低下し、筋肉のミトコンドリアにも異常が見られる。MA-5投与によって運動機能は有意に改善した。さらにATP量、ミトコンドリア膜電位が回復し、異常なミトコンドリア形態にも改善傾向が見られた。論文は、運動機能改善とミトコンドリア機能の回復が並行したことを示している。[2]
ただし、ショウジョウバエはヒトALSを完全に再現するモデルではない。寿命、神経系、代謝、薬物動態が大きく異なり、この結果だけから人での運動機能改善を予測することはできない。
患者の皮膚細胞でもATPが増えた
次に研究チームは、ALS患者から採取した皮膚線維芽細胞を調べた。SOD1変異を持つ患者だけでなく、既知のALS関連遺伝子変異が確認されていない孤発性ALS患者の細胞も含めた。MA-5は複数の患者由来線維芽細胞でATP産生を増加させた。単離したミトコンドリアでもATP増加が確認された。[2]
論文では、酸化ストレスを高める処理に対する細胞死も評価した。孤発性ALS由来線維芽細胞では、MA-5が一定濃度まで細胞死やLDH放出を抑えた一方、30μMでは効果が弱まる、あるいは有害となる可能性も示された。薬効には適切な濃度範囲があることを示す重要な結果である。[2]
iPS細胞から作った「ヒト運動神経」で検証
さらに研究チームは、患者由来iPS細胞から運動神経細胞を作製した。iPS細胞は患者自身の遺伝背景を保ったまま、研究対象となる神経細胞へ分化させられるため、ALS研究では特に重要なモデルである。
SOD1変異を持つ患者由来の運動神経細胞ではATP産生が低下していたが、MA-5投与によって増加した。FUS変異型ALS由来の細胞でも同様の改善が確認され、孤発性ALS由来細胞でもミトコンドリア関連指標が改善した。[1][2]
神経細胞では、ATP量だけでなくミトコンドリアが軸索内を移動する「ミトコンドリア動態」も重要になる。運動神経の軸索は長いため、エネルギーを必要とする場所へミトコンドリアを移動させなければならない。研究ではMA-5によってミトコンドリアの移動性が高まった。これは、ATPを増やすだけでなく、細胞内でのエネルギー供給配置にも影響する可能性を示す。[2]
多様なALSで共通する標的になり得るか
ALS治療で難しいのは、病態の多様性だ。SOD1変異を標的にした治療はSOD1型ALSには合理的でも、FUS変異や孤発性ALSには直接適用できない。逆に、ミトコンドリア機能低下が複数の病型に共通するなら、遺伝子型をまたいだ治療戦略になり得る。
今回、SOD1変異、FUS変異、孤発性ALSという異なる背景の患者由来細胞で似た方向のミトコンドリア改善が観察されたことは、その仮説を支持する。ただし、試験した患者数は限られ、すべてのALS病型や遺伝変異で同じ反応が得られることを意味しない。
代謝経路にも変化――グリセロールリン酸シャトル
研究チームは遺伝子発現解析とメタボローム解析を組み合わせ、MA-5が単にATP合成酵素周辺だけに作用するのではなく、より広い代謝ネットワークに影響する可能性を調べた。その結果、ミトコンドリア呼吸鎖に関わる遺伝子発現の変化と、グリセロールリン酸シャトルの抑制が示唆された。[1][2]
グリセロールリン酸シャトルは、細胞質で生じた還元力をミトコンドリアへ渡す経路の一つで、活性酸素種の産生とも関係する。論文では、この経路の抑制がミトコンドリア由来の酸化ストレスを下げる方向に働く可能性を議論している。
もっとも、これがALSにおけるMA-5の主作用機序と確定したわけではない。MA-5の一次標的としてはmitofilin/Mic60が以前から提案されており、今回のオミクス解析は下流で起こる代謝変化の候補を加えた段階と読むのが妥当だ。
C7orf31はバイオマーカーになるか
研究では、MA-5への反応やALSサブタイプを見分ける候補としてC7orf31とC3orf62も抽出した。特にC7orf31は、SOD1変異ALS患者の血中濃度が孤発性ALS患者や他の神経疾患患者より高い傾向を示した。論文では、SOD1-ALS患者で平均28.32±12.37 ng/mL、孤発性ALSで7.20±4.52 ng/mLと報告し、差は統計的に有意だった。[2]
これは興味深いが、直ちに診断検査として使えるという意味ではない。独立した患者集団で再現し、年齢、病期、治療歴、他疾患との識別性能を検証する必要がある。さらに、MA-5投与前後で血中C7orf31が治療反応をどの程度反映するかも、ALS患者を対象とした臨床試験がなければ分からない。
- 示した:SOD1 G85R型ALSショウジョウバエでMA-5が運動機能を改善した。
- 示した:患者由来線維芽細胞とiPS由来運動神経細胞でATP産生やミトコンドリア機能を改善した。
- 示した:SOD1変異、FUS変異、孤発性ALSという異なる背景で細胞レベルの効果が観察された。
- 示していない:ALS患者で筋力低下や病勢進行を遅らせること。
- 示していない:すべてのALS患者がMA-5に反応すること。
MA-5の臨床経験は「ALS以外」で先に進んでいる
MA-5には、完全に未知の化合物とは異なる利点がある。ミトコンドリア病を対象とする開発で、すでにヒトへの投与経験があることだ。第I相試験は成人健常者で安全性と薬物動態を評価し、その後、ミトコンドリア病患者を対象とする第II相試験へ進んだ。[6][7]
しかし、ALSへの転用では別の壁がある。必要な投与量や脳・脊髄への移行性、長期投与の安全性、病期ごとの効果、既存治療との併用などを改めて評価しなければならない。ミトコンドリア病で安全性データがあることは開発上の資産だが、ALSへの有効性を代替するものではない。
ALS治療史の中でどこに位置づくか
ALS治療は長い間、神経細胞死を遅らせる薬剤や症状を支える医療が中心だった。近年は原因遺伝子に合わせた治療も登場し、SOD1を標的にする核酸医薬など、患者を分子型で分けて治療する時代に入りつつある。一方、孤発性を含む幅広いALSに共通する病態を標的にする治療の必要性は残る。
ミトコンドリアはその候補の一つだ。ただし、過去にも抗酸化薬、CoQ10、ミトコンドリア生合成を刺激する薬など多くの試みが行われ、臨床で決定的な成果に至っていない。細胞のエネルギーを増やすことが、複雑な神経変性を止めることと同義ではない。
MA-5が興味深いのは、電子伝達系を直接刺激するのではなく、mitofilin/Mic60とATP合成酵素複合体の構造に働きかけるという、比較的独自の機序を持つ点だ。これがALSで臨床的に意味のある差につながるかは、これからの課題である。
次に必要なのは哺乳類モデルとヒト試験
東北大学の発表も、研究の限界を明確にしている。今回の主な実験系はショウジョウバエと培養細胞であり、MA-5が哺乳類ALSモデルで運動機能や生存期間を改善するかは分かっていない。まして、人のALSで病勢を遅らせるかは未検証である。[1]
次の段階では、ALSマウスなどで中枢神経への薬物移行、投与量、長期効果、安全性を検証し、その後、ALS患者を対象とする初期臨床試験へ進む必要がある。C7orf31のようなバイオマーカー候補が再現されれば、どの患者が反応しやすいかを選ぶ「層別化」に利用できる可能性もある。
「共通の弱点」を狙えるか
ALSは単一疾患の名前の下に、多様な遺伝的・分子的経路が集まっている。そのため、一つの治療がすべての患者に効くと考えるのは現実的ではない。それでも、異なる経路が最終的に同じ細胞機能の破綻へ収束するなら、そこには共通の治療標的が生まれる。
今回の研究が示したのは、SOD1変異、FUS変異、孤発性ALSという異なる背景で、ミトコンドリアのATP産生や動態を押し上げる同じ化合物が細胞レベルの異常を改善し得るということだった。それは治療法の完成ではなく、仮説の強化である。
MA-5はすでにミトコンドリア病研究で約10年にわたり蓄積されてきた化合物だ。その研究史がALSへ接続されたことで、ミトコンドリア異常を「結果」として見るだけでなく、介入可能な病態の一部として検証する次の段階に入った。患者に届く薬になるかどうかはまだ分からない。しかし、異なるALSの間に共通する弱点を探すという方向性に、今回の研究は具体的な候補を加えた。
出典
- 東北大学:ALSのミトコンドリア機能改善に新知見―ALS患者由来iPS細胞などでMA-5による病態改善効果を確認―(2026年9月24日)
- Oikawa Y, Luo Y, et al. Mitochonic acid 5 alleviates amyotrophic lateral sclerosis phenotypes via mitochondrial augmentation. JCI Insight 11(18):e200761 (2026)
- Suzuki T, et al. Mitochonic Acid 5, a Derivative of the Plant Hormone Indole-3-Acetic Acid, Improves Survival of Fibroblasts from Patients with Mitochondrial Diseases. Tohoku J Exp Med. 236:225–232 (2015)
- Mitochonic Acid 5 Facilitates ATP Synthase Oligomerization and Cell Survival in Various Mitochondrial Diseases (2017)
- Mitochonic Acid 5 Binds Mitochondria and Ameliorates Renal Tubular and Cardiac Myocyte Damage (2016)
- AMED・東北大学:ミトコンドリア病治療薬MA-5の成人健常者を対象とした臨床試験を開始(2021年12月6日)
- AMED:MA-5 Phase II clinical trial for mitochondrial disease begins(2025年11月19日)
- 国立精神・神経医療研究センター:変異型SOD1とALS研究
