7月13日に何が変わったのか
超党派の社会保障国民会議は7月13日、実務者協議を再開した。議長の小野寺五典・自民党税制調査会長が示した中間取りまとめの修正案は、低・中所得の現役世代を主対象とする給付付き税額控除に加え、勤労所得の条件から外れる低所得者、病気や障害で働けない人への具体的な給付を2029年度から始める方向を盛り込んだ。給付、相談、就労支援を一体で提供する考えも記された。
7月16日の会合で各党の意見を聞き、方向性を探る予定だ。食料品の消費税率をどうするかは合意に至らず、7月17日の国会会期末までの決着は難しい情勢である。つまり、報じられたのは制度創設の「提案」であって、受給権の発生ではない。
給付付き税額控除とは何か
普通の税額控除は、納める税金を減らす。控除額が税額を上回っても、税額がゼロになればそこで止まる。給付付き税額控除は違う。たとえば税額が3万円、控除が8万円なら、3万円を相殺し、残る5万円を現金で給付する。税制の計算と生活支援を一本につなぐ仕組みだ。
勤労を促す設計では、所得が増え始めると給付も増える「導入部」、最大額が続く「定額部」、さらに所得が増えると給付がゆっくり減る「逓減部」を置く。急に資格を失う崖を避ければ、1円多く稼いだために手取りが大きく減る「年収の壁」を和らげられる。米国の勤労所得税額控除(EITC)や英国などの制度が代表例で、日本でも2012年の社会保障・税一体改革期から繰り返し議論されてきたが、全国制度にはならなかった。
2026年2月に始まった国民会議は、低・中所得の現役世代の税・社会保険料負担を軽くし、働くことを後押しする制度を検討している。6月の議論では個人単位、一定の勤労所得と社会保険料負担、給付と就労・職業訓練の連携が論点になった。
最大の矛盾――働いた所得がないと受け取れない
勤労所得を条件にする制度には論理的な穴がある。がん治療で休職した人、症状が変動する難病や精神疾患の人、障害認定には届かないがフルタイム勤務が難しい人は、まさに支援が必要な時に所得条件を満たせないかもしれない。所得がゼロに近づくほど勤労給付もゼロに近づけば、安全網は逆向きに働く。
7月13日の修正は、この「ゼロ所得の穴」を政策側が認めた点で重要だ。補完給付は、働く人向けの税額控除と別建てにしつつ、相談窓口を共通化する可能性がある。ただし、病気の証明を厳しくすれば申請できない人が増え、緩すぎれば制度への信頼を失う。医学的診断と実際の就労能力は同じではない。週20時間なら働ける人、再発を繰り返す人、介助や通院で安定勤務が難しい人を二択で分けない設計が必要だ。
今ある制度は、何を払うのか
| 制度 | 守るもの | 主な条件 | 残る穴 |
|---|---|---|---|
| 健康保険 | 診察・入院・薬などの医療 | 被保険者として保険診療を受ける | 休業中の家賃、食費、交通費は払わない |
| 高額療養費 | 月ごとの自己負担に所得別上限 | 保険診療の自己負担が上限を超える | 失った賃金や保険外費用は対象外 |
| 傷病手当金 | 休業中の所得を概ね賃金の3分の2補填 | 主に被用者保険、待期3日、労務不能 | 通算1年6か月。国保の自営業者等には原則共通給付がない |
| 障害年金 | 一定の長期障害による所得喪失 | 初診日、保険料納付、障害等級 | 重い症状でも等級・初診日要件に届かない場合 |
| 生活保護 | 健康で文化的な最低限度の生活 | 世帯収入・資産・能力・他制度を確認 | 最後の安全網。世帯単位、資産要件、申請の心理的・事務的負担 |
| 今回の補完給付案 | 低所得と就労不能の間の空白 | 未定 | 制度設計そのものが未定 |
ここで覚えたい区別は単純だ。医療保険は「治療の値段」を抑える。傷病手当金は「休んだ給与」を一時的に埋める。障害年金は「一定水準の長期障害」を支える。生活保護は他の全てを使っても最低生活費に足りない世帯を最後に支える。一人の患者が必要とする家賃、食費、介護、移動、育児は、この縦割りの外に残りやすい。
患者の時間で見ると、隙間が見える
45歳の非正規労働者が病気で勤務を減らしたとする。最初は有給休暇を使い、被用者保険に入っていれば待期後に傷病手当金を申請できる。治療費が高ければ高額療養費が家計を守る。しかし雇用を失ったり、通算1年6か月を超えたり、国民健康保険の自営業者だったりすれば所得補償は薄くなる。
障害年金は診断名だけで決まらない。初診日、納付要件、日常生活・労働能力と等級の審査がある。認定に至らないが働けない期間、申請中の期間、症状が上下する期間が生まれる。貯蓄を取り崩し、世帯全体が基準を下回れば生活保護へ向かうが、同居家族の収入や資産も見られる。新給付が価値を持つのは、この「制度から制度へ移る途中」を切れ目なく支える時だ。
1946年から2029年へ――日本の安全網の歴史
日本国憲法25条は「健康で文化的な最低限度の生活」を権利として掲げた。1950年の現行生活保護法は、困窮の程度に応じた保護と自立助長を制度化した。1961年の国民皆保険・皆年金は、病気と老後の大きなリスクを社会全体で分け合う土台を作った。
ところが高度成長期の社会保障は、正社員の夫と扶養家族、長期雇用、会社の健康保険というモデルを強く前提にした。非正規雇用、単身世帯、フリーランス、離婚、介護と就労の併存が増えると、保険料を負担しても十分な現金給付を得られない層が広がった。
2014年には消費税率引上げの影響を和らげる臨時福祉給付金が導入され、2019年には低所得の年金受給者へ年金生活者支援給付金が恒久化された。これらは弱い家計へ現金を届けたが、対象年、世帯課税、年齢、申請手続が別々で、現役世代の恒久的な所得補完にはならなかった。2026年の議論は、物価高のたびに一回限りの給付を作る方式から、所得に応じて自動的・継続的に支える仕組みへ移れるかという試験でもある。
相対的貧困率15.4%が示すこと
厚生労働省の2022年国民生活基礎調査によると、2021年所得を基にした相対的貧困線は等価可処分所得127万円、貧困率は15.4%。子どもの貧困率は11.5%、大人が一人の子育て世帯では44.5%だった。相対的貧困は「飢えている人」の割合ではない。社会の中央値の半分に満たない所得で、その社会の普通の住居、教育、通信、交通、交際を維持しにくい状態を測る。
日本の特徴は、仕事があっても貧困から抜けにくい人が少なくないことだ。低賃金、短時間勤務、社会保険料、家賃、ひとり親の育児負担が重なる。税だけを軽くしても、もともとの所得税額が小さい人には効果が乏しい。だから「税額を超えた分を給付する」発想が必要になる。
良い逓減、悪い崖
制度の成否は、対象か対象外かの線より、給付がどう減るかで決まる。所得税、住民税、社会保険料、保育料、住宅・医療給付の減額を合わせたものが実質的な追加負担だ。1万円稼いだとき税・保険料が3,000円増え、給付が7,000円減れば、手取りは増えない。これが高い「実効限界負担率」である。
補完給付にも滑らかな逓減が要る。回復して週1日から働き始めた人の給付を直ちに切れば、復職を罰することになる。逆に給付を長く満額にすれば財源が膨らむ。勤労所得、労働時間、医療状態のどれに連動させるのか、一定期間の平均を見るのかが核心になる。
個人か世帯か、去年か今月か
個人単位の給付は、配偶者の所得に左右されず、本人の就労と自立を支えやすい。世帯単位は家計全体の支払い能力を見られるが、同居や結婚を不利にし、経済的に依存する人へ現金が届かない恐れがある。生活保護が世帯単位である以上、新給付まで同じにするのか、個人の所得保障として分けるのかは大きな選択だ。
時間差も重要だ。前年所得で計算すれば行政は税情報を使いやすい。しかし、今年病気で収入が急減した人には前年の給与が壁になる。月次給与を早く把握すれば即応できるが、自営業の所得は月ごとに確定しにくく、過払いの返還も起きる。マイナンバーで税・社会保険情報を結ぶだけでは、正確性、プライバシー、訂正手続、デジタルを使えない人への窓口という問題は消えない。
「相談・就労支援の一体化」は支援にも圧力にもなる
一つの窓口で給付、医療・福祉相談、職業訓練、合理的配慮のある仕事を案内できれば、申請者が役所を回る負担は減る。状態に合う仕事へ段階的に戻る支援もできる。しかし「就労支援」が、病気の人へ働くことを強いる制裁条件になれば逆効果だ。
良い制度は、できないことを証明させ続けるのではなく、何時間なら安定して働けるか、在宅勤務や通院休暇があれば可能かを尋ねる。相談を受けないことを理由に生活費を止めず、医療判断への異議申立て、代理申請、多言語・点字・対面支援を用意する。行政効率より尊厳を先に置く設計が必要である。
まだ決まっていない十の質問
| 論点 | 答えが必要な質問 |
|---|---|
| 金額 | 最低生活費の何割を、月額か年額で払うのか。 |
| 所得 | 個人か世帯か。前年所得か直近所得か。 |
| 病気・障害 | 診断、期間、労働能力を誰がどう評価するか。 |
| 対象 | 被用者、自営業、無業者、外国人住民をどう扱うか。 |
| 併給 | 傷病手当金、障害年金、生活保護から差し引くのか。 |
| 申請 | 自動給付か申請制か。確定申告をしない人へ届くか。 |
| 速度 | 所得急減から最初の振込まで何日か。 |
| 復職 | 働き始めた時、給付をどの速度で減らすか。 |
| 救済 | 却下、過払い、返還命令にどう不服申立てするか。 |
| 財源 | 恒久財源を税、保険料、歳出改革のどこに求めるか。 |
2029年に測るべき成功
支給人数や予算消化率だけでは足りない。病気による家賃滞納、食料不足、治療中断、離職、生活保護へ至る前の困窮が減ったか。申請から支給までの日数、受給漏れ、却下率、復職後の手取り、男女・雇用形態・障害種別による格差を公開すべきだ。制度を知らない人を含む「非受給」を測らなければ、窓口に来た人だけを成功として数えてしまう。
この提案の核心は、新しい給付の名前ではない。日本の社会保障を「病院の窓口」「会社の保険」「年金事務所」「福祉事務所」という別々の箱から、生活者の時間に沿う仕組みに変えられるかである。病気で働けなくなった日に必要なのは、数年後の税還付ではなく、次の家賃と食費だ。2029年度という工程には準備時間がある。だからこそ、金額、速度、権利、併給、救済まで公に設計し、最も申請しにくい人に届く制度にしなければならない。
資料・さらに読む
- 時事通信/nippon.com:低所得者らに新たな給付検討(2026年7月13日) — 修正案と2029年度工程。
- 内閣官房:社会保障国民会議 — 会議資料と開催履歴。
- 社会保障国民会議:中間取りまとめに向けた議長案 — 制度の方向と工程。
- 首相官邸:National Council on Social Security, February 26, 2026。
- 税務大学校:給付付き税額控除に関する研究 — 仕組みと海外制度。
- 厚生労働省:生活保護制度 — 要件、世帯単位、扶助の種類。
- 厚生労働省:傷病手当金の支給期間 — 通算1年6か月。
- 日本年金機構:Disability Basic Pension — 初診日、等級、納付要件。
- 厚生労働省:高額療養費制度 — 医療費自己負担の上限。
- 日本年金機構:年金生活者支援給付金制度。
- 厚生労働省:2022年国民生活基礎調査 — 貧困線と相対的貧困率。
- 三菱総合研究所:給付付き税額控除の制度設計。
- NIRA総合研究開発機構:給付付き税額控除をどう設計するか — 個人単位、所得把握、就労支援。
