「水素への固定価格補助」ではありません:水素社会推進法の「価格差に着目した支援」は、認定された低炭素水素等の基準価格と、天然ガス・石炭・既存アンモニアなど代替される原燃料の参照価格との差に着目して支援する制度である。助成対象期間は15年間。制度設計では、その終了後も原則10年間、供給を継続することを求めている。政府の狙いは永久に水素を安売りすることではなく、15年の間に設備償却、コスト低減、需要拡大を進め、25年規模の事業へ育てることにある。

水素には、長い間一つの矛盾があった。たくさん作れば安くなる。しかし、安くなければ誰もたくさん買わない。需要家は「水素が高いから設備を変えられない」と言い、供給者は「買う人がいないから大型設備へ投資できない」と言う。その間に、水電解装置も船もタンクもパイプラインも、実証の世界からなかなか出られなかった。

日本政府が2024年に成立させた水素社会推進法は、この「鶏と卵」に公的資金で橋を架ける法律である。中心にあるのが「価格差に着目した支援」。低炭素水素や低炭素アンモニアなどが、既存の天然ガス、石炭、通常アンモニアなどより高い間、その差の一部を長期に支援する。

支援規模は15年間で約3兆円。2025年3月31日の公募締切までに届いた計画申請は27件で、経済産業省によれば、申請額を機械的に積み上げると用意した支援規模を大きく超えた。つまり、制度が始まる前から「補助金を欲しい水素案件」は十分にあった。

本当の問題はそこではない。どの案件を選べば、15年後に補助金なしでも続く産業になるのか、である。

約3兆円価格差支援の15年間の政策規模
15年間低炭素水素等と既存原燃料の価格差を支援する助成対象期間
+10年間支援終了後に原則として求める供給継続期間
27件2025年3月31日までに提出された価格差支援の計画申請

まず制度を一行で言うと、「高い水素の差額を埋める」

制度の基本形は難しくない。低炭素水素等を継続的に供給するために必要な価格を「基準価格」とし、それが置き換える既存原燃料などの価格を「参照価格」とする。基準価格のほうが高い範囲で、その差を支援する。

イメージとしては、低炭素水素を1単位つくって届けるために必要な価格が100で、既存燃料が40なら、60の価格差が事業化の壁になる。政府はその差を政策的に埋めることで、需要家が「100を払えないから水素を使わない」と判断する前に、市場を立ち上げようとする。

ただし、基準価格は企業が自由に好きな値段を申告して、そのまま国が払う仕組みではない。供給計画、製造・輸送コスト、合理的な利潤、コスト低減計画、需要家との契約、低炭素性、事業継続性などを審査した上で計画が認定される。

参照価格も固定ではない。利用用途に応じた既存燃料・原料の市場価格などを反映する。化石燃料価格が上がれば価格差は縮まり、支援額も小さくなり得る。逆に既存燃料が安くなれば、水素側の競争条件は厳しくなる。

これは「水素を15年間、国が買い取る制度」ではない。市場価格の差を時間限定で埋め、その15年の間に水素側が自力で差を縮めることを求める制度だ。

なぜ15年なのか――水素プラントは3年で元を取れない

水素の大型設備は、投資回収に時間がかかる。水電解装置、圧縮機、貯蔵タンク、配管、港湾設備、アンモニア輸入基地、ボイラ、工業炉。どれも「価格が安くなったら来年買う」程度の設備ではない。

供給者が数百億円、場合によってはそれ以上を投資するには、何年先まで需要と価格を読めるかが重要になる。需要家側も、天然ガス炉を水素炉へ変えた後に燃料供給が途切れれば困る。

そのため日本は、供給開始から15年間という長期支援を選んだ。さらに、制度設計では支援終了後も10年間の供給継続を求める。つまり、政府が期待しているのは15年だけの補助事業ではなく、少なくとも25年程度の長期事業である。

ここが短期的な実証補助金との違いだ。実証なら「技術が動いた」で成功になる。価格差支援では、15年間売り、支援がなくなってからも売り続けることが成功になる。

2017年の「世界初の水素戦略」から、2024年の市場制度へ

日本は2017年12月、世界で初めて国家レベルの水素基本戦略を策定した。当時の政策は、水素ステーション、燃料電池車、家庭用燃料電池、海外水素サプライチェーンなど、技術開発と初期導入に強く軸足を置いていた。

目標の一つが水素コストだった。政府は当時およそ100円/Nm³とされた水素を、2030年に30円/Nm³、将来20円/Nm³へ下げる方向を示した。

しかし2020年代に入ると、世界中で水素戦略が策定され、日本の「技術先行」だけでは市場を取れないという危機感が強まった。米国、欧州、英国、ドイツなども巨額の政策支援を用意し、低炭素水素の生産者と需要家の価格差を長期制度で埋め始めた。

日本は2023年6月に水素基本戦略を改定し、水素を技術政策から産業政策へ移した。2040年に水素・アンモニア等を水素換算で1,200万トン程度導入する目標を加え、官民で15年間に15兆円超のサプライチェーン投資を見込んだ。

翌2024年5月、水素社会推進法が成立し、10月23日に施行された。価格差支援、拠点整備支援、規制特例、計画認定という「実証の次」の制度がようやく法律になった。

英国やドイツに似ているが、日本版は「供給と需要を一枚の計画」にする

資源エネルギー庁は、日本の価格差支援が英国やドイツの値差支援制度を参考にしていると説明している。低炭素燃料が既存燃料より高い段階では、市場任せにすると誰も最初の大型投資をしない。その差を一定期間支援し、量産と競争でコストを下げるという発想は共通する。

ただし日本の特徴は、単に製造者へ「水素1kg当たりいくら」を補助するだけではなく、誰が供給し、誰が使い、何に使い、どのインフラで届け、支援後も続くかを「低炭素水素等供給等事業計画」として認定する点にある。

これは重要だ。水素は作るだけでは市場にならない。製鉄所、化学工場、発電所、飲料工場、ボイラ、バーナ、水素ステーションという具体的な需要が最初から必要になる。

最初の2件――2025年9月30日、鉄とリサイクル化学

最初の認定は2025年9月30日だった。興味深いことに、乗用車向け水素ではなかった。

一つは愛知県知多市。豊田通商、ユーラスエナジーホールディングス、岩谷産業が設立する製造SPCが、陸上風力由来の電力を調達し、愛知製鋼の知多工場で水を電解して低炭素水素を製造する。年間供給量は1,600トン。2030年8月から2055年7月までの計画だ。水素は特殊鋼製造へ使われる。

もう一つは川崎。レゾナックが廃プラスチックや廃衣料をガス化し、得られる水素を原料として低炭素アンモニアを製造する。日本触媒も利用事業者として参加し、化学原料の低炭素化につなげる。年間20,815トンのアンモニア、水素換算で3,234トン。2030年4月から2055年3月まで。

この2件は、制度の思想をよく表している。最初に選ばれたのは「水素を目立つ場所で使う案件」ではなく、鉄と化学というhard-to-abate産業の原料・熱を変える案件だった。

2025年12月――一気に数十万トンのアンモニアへ

12月19日には、規模が一桁も二桁も違う二つの低炭素アンモニア案件が認定された。

JERAの計画では、米国ルイジアナ州のBlue Pointで製造する低炭素アンモニアを日本へ輸入する。大部分を碧南火力発電所でのアンモニア転換に使い、一部を豊田自動織機、AGC、日本ガイシ、アイシン福井などの工業炉燃料へ回す。認定計画の年間供給量は492,244トン、水素換算76,452トン。2030年2月から2055年1月までの計画である。

もう一つは三井物産、北海道電力、UBE三菱セメント、東ソー。三井物産が米ルイジアナ州から調達する低炭素アンモニアを、苫東厚真火力での燃料利用、セメント工業炉、化学原料などへ供給する。年間28万トン、水素換算43,807トン。2031年1月から2055年12月まで。

この2案件が示すのは、価格差支援が「水素だけ」の制度ではないことだ。法律上の「低炭素水素等」にはアンモニアなどの水素化合物が含まれる。アンモニアは既存の国際物流があり、水素より常温近くで扱いやすい。そのため、日本の大規模導入では水素キャリア兼燃料として重要な位置を占める。

2026年3月――再び「地域の水素」へ戻った

2026年3月27日、新たに認定された価格差支援2件は、巨大輸入アンモニアとは対照的だった。どちらも国内水電解による水素である。

山梨ハブでは、やまなしハイドロジェンカンパニー(YHC)とサントリーが製造SPCを設立し、白州工場隣接地で低炭素水素を製造する。主用途はサントリー天然水の殺菌工程の熱源。一部は巴商会を通じ、赤坂熱供給、キッツ、コーセーインダストリーズなど周辺需要へ広げる。年間1,607トン、2028年4月から2055年3月。

福島ハブでは、YHCとヒメジ理化が水素製造SPCを設立し、ヒメジ理化田村工場と福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)で水電解する。ヒメジ理化の半導体用石英ガラス加工に水素バーナーを使い、住友ゴム工業の水素ボイラ、海の森水素ステーション、東京電力グループなどへも供給する計画だ。年間1,177トン、同じく2028年4月から2055年3月。

認定日主な供給・利用種類・年間供給量実施期間
2025/9/30豊田通商・ユーラス・岩谷 → 愛知製鋼 知多工場水素 1,600t2030/8~2055/7
2025/9/30レゾナック → 日本触媒等、川崎の化学用途アンモニア 20,815t
(H₂換算3,234t)
2030/4~2055/3
2025/12/19JERA → 碧南火力・中部の工業炉アンモニア 492,244t
(H₂換算76,452t)
2030/2~2055/1
2025/12/19三井物産 → 北海道電力・UBE三菱セメント・東ソーアンモニア 280,000t
(H₂換算43,807t)
2031/1~2055/12
2026/3/27YHC・サントリー・巴商会 山梨ハブ水素 1,607t2028/4~2055/3
2026/3/27YHC・ヒメジ理化・巴商会 福島ハブ水素 1,177t2028/4~2055/3

なぜ巨大案件と小さな案件を同じ制度で支援するのか

492,244トンのアンモニアと1,177トンの水素を同じ表に置くと、制度が不統一に見える。しかし役割が違う。

巨大アンモニア案件は、輸入船、港湾、タンク、発電所、工業炉をまとめて動かし、「量」をつくる。大量の低炭素燃料が定期的に日本へ入れば、物流コストや設備単価を下げる余地が生まれる。

地域水素案件は、逆に「密度」をつくる。白州では飲料工場の熱、周辺企業、東京の熱供給まで需要を束ねる。福島では石英ガラス、タイヤ、物流、水素ステーションをつなぐ。水素を何百キロも運ばず、製造拠点の近くに需要を集める。

日本が必要としているのはどちらか一方ではない。海外から大量に輸入するサプライチェーンと、国内で再エネから製造して地域で使うサプライチェーンを同時に育て、どの用途にどちらが合うかを市場で学ぶ必要がある。

「低炭素」は色ではなく、炭素強度で判定する

水素業界では、再エネ水電解を「グリーン」、化石燃料+CCSを「ブルー」など色で呼ぶことが多い。しかし水素社会推進法の重要な考え方は、色の名前より実際の炭素強度、CIを重視することだ。

制度の議論では、水素製造までの基準として3.4kg-CO₂e/kg-H₂、アンモニアについて0.87kg-CO₂e/kg-NH₃といった閾値が示されている。実際の認定・助成では、計画に基づく低炭素性を継続的に確認する必要がある。

これは、再エネ由来と名乗れば何でも支援する制度ではない。電力源、原料、CCS、製造効率などが炭素強度へ反映される。将来的に電力系統や海外製造地の排出係数が変われば、事業者は「低炭素」の中身を説明し続けなければならない。

価格差支援の本当の顧客は「需要家」でもある

法的には、認定された低炭素水素等供給事業者が支援の中心になる。しかし市場設計として見ると、制度が本当に動かしているのは需要家の投資判断である。

愛知製鋼が特殊鋼工程を変える。サントリーが水素ボイラを使う。ヒメジ理化が水素バーナーを使う。北海道電力やJERAが発電設備を燃料転換する。こうした設備は、燃料価格が将来どうなるか分からなければ投資しにくい。

15年の支援は、供給者の売価を支えると同時に、需要家へ「この燃料は来年突然5倍になって市場から消えるわけではない」という予見可能性を与える。

水素市場が育たない最大の理由の一つは、装置ではなく契約だった。価格差支援は、その契約期間を政策で延ばす装置とも言える。

政府は「一番安い水素」だけを選べない

もし唯一の目的が水素1kgを最安値で買うことなら、世界で最も安い再エネ地域から輸入する案件だけを支援すればよい。しかし日本の選定は、価格だけではない。

エネルギー安全保障、国内産業競争力、日本企業の技術獲得、供給開始時期、需要の確実性、将来のコスト低減、地域波及、GX効果など複数の観点で評価する。

そのため、国内グリーン水素は輸入燃料より高くても選ばれる可能性がある。国内で電解装置、圧縮、物流、工業炉、ボイラの市場を育てれば、日本企業が世界市場へ出る産業基盤になるからだ。

一方、この考え方にはリスクもある。「産業政策」の名目で高コスト案件を長く保護すれば、世界価格との差を縮められず、支援終了時に崩れる可能性がある。

最大のリスク1――補助金がコスト低減を止めてしまう

価格差を国が埋めると、需要家は燃料転換しやすくなる。しかし供給者から見れば、「高くても差額を埋めてもらえる」誘惑が生まれる。

制度が成功するには、基準価格の設定、費用精査、コスト低減計画、実績モニタリングが厳しくなければならない。15年の支援期間は「15年間高いままでよい」という意味ではない。

むしろ初期投資を償却し、設備利用率を上げ、製造能力を増やし、次世代設備へ更新し、輸送効率を上げて、基準価格そのものを下げるための時間である。

水素が補助金産業になるか、補助金を卒業する産業になるかは、このコスト曲線で決まる。

最大のリスク2――「需要」を補助金で作っただけになる

もう一つの危険は、需要家が水素を本当に必要としているのではなく、「安く補助される15年間だけ買う」状態になることだ。

だから支援後10年間の供給継続が制度設計に入っている。支援終了時に需要家が一斉に天然ガスへ戻るなら、市場形成には失敗したことになる。

15年間の間に必要なのは、単なる燃料購入ではない。需要家側の設備更新が進み、水素を使う製品に環境価値が認められ、炭素価格や排出規制が化石燃料側のコストへ反映され、低炭素燃料を使うことが経営上合理的になることだ。

つまり価格差支援だけでは市場を完成できない。GX-ETS、カーボンプライシング、製品のグリーン価値、顧客調達基準、燃料規制など別の政策が15年間に同時に成熟する必要がある。

制度の成功は「15年間水素を売れたか」ではない。16年目に、国が差額を払わなくても同じ顧客が水素を買うかで決まる。

最大のリスク3――海外の水素価格より、国内のインフラが高い

海外で低炭素アンモニアを安く製造できても、日本の港に着いた後にタンク、気化器、パイプライン、ローリー、工業炉改造へ巨額の費用が必要なら、需要家価格は下がらない。

そこで水素社会推進法は、価格差支援とは別に「拠点整備支援」を設けた。低炭素水素等を複数の需要家へ届けるためのタンク、パイプライン、ローリー出荷設備など共用インフラを支援する。

実際、JERAの碧南案件と北海道・苫小牧案件は、2025年12月の価格差支援認定に続き、2026年3月27日に拠点整備支援も認定された。燃料価格とインフラを別々に支援し、同時に市場を立ち上げる構造である。

これは合理的である一方、公的支援が二重三重に見えやすい。価格差、港湾、パイプライン、燃焼設備のそれぞれを支援するなら、政策全体で「1トンのCO₂を減らすのにいくら使ったか」を比較する必要がある。

アンモニア混焼は、本当に最良の使い道か

価格差支援で最大規模なのは、現時点では低炭素アンモニア案件である。そこで避けられない論点が、石炭火力でのアンモニア混焼だ。

支持する側は、既存大型火力の設備を活用しながらCO₂排出原単位を下げ、巨大な初期需要をつくることで、アンモニア供給網を早く立ち上げられると考える。JERAは碧南4号機で熱量比20%の大規模燃焼実証を2024年に実施し、2029年度ごろの商用運転を目指している。

批判側は、低炭素アンモニアの供給量が限られる中で、石炭火力を延命する用途へ巨額支援を入れるより、肥料・化学原料、海運、電化困難な産業など代替手段の少ない用途を優先すべきだと主張する。

この議論に単純な答えはない。価格差支援の評価では、「何トン使ったか」だけでなく、ライフサイクルCO₂削減、代替技術、設備寿命、将来の専焼化・転換可能性まで見る必要がある。

逆に、小さな地域水素は「高すぎる」かもしれない

山梨1,607トン、福島1,177トンという数字は、50万トン近いアンモニア案件と比べれば小さい。規模の経済だけを見れば不利だ。

しかし地域水素には、輸入燃料にない利点もある。水電解装置を需要家の近くへ置けば、海上輸送、液化、輸入基地、大型タンクを省ける。再エネ電力が安い地域なら、電力価格そのものが競争力になる。

また、地域産業の需要を束ね、巴商会のようなガス物流会社が複数顧客へ供給することで、一つの大工場だけに依存しない市場を作れる。

問題は、それがスケールできるかである。毎年1,000トン級の拠点を何十か所も造るほうがよいのか、巨大輸入拠点から全国へ配るほうがよいのか。最初の案件は、その答えを数字で比較する実験でもある。

なぜ「鉄」「石英」「飲料」「化学」なのか

最初の6案件を見ると、需要の選び方に共通点がある。製品を作るために熱や原料が不可欠で、完全電化が簡単ではなく、しかも企業が長期に存在する可能性が高い。

愛知製鋼は特殊鋼。ヒメジ理化は半導体製造装置などに使う石英ガラス。サントリーは飲料の殺菌蒸気。レゾナックと日本触媒は化学原料。JERAと北海道電力は発電。

これらは、需要を「政策で発明」しなくても既にエネルギーを大量消費している。変えるのは需要そのものではなく、使う分子である。

水素政策が乗用車中心から産業中心へ移ってきた理由もここにある。既存需要の燃料転換なら、水素1kgがどこへ消えるかが最初から分かる。

「低炭素水素」の基準は、年々厳しくなる必要がある

制度開始時の炭素強度基準を満たすだけで、2050年まで同じ水準でよいわけではない。カーボンニュートラルへ向かうなら、低炭素水素そのものも時間とともに低炭素化しなければならない。

海外のブルーアンモニアなら、メタン上流排出、CO₂回収率、貯留の永続性が重要になる。国内電解水素なら、使う電力が系統平均なのか追加的な再エネなのかで実排出量が変わる。

支援が15年続くからこそ、CIの測定、報告、検証を毎年積み上げる必要がある。低炭素ラベルが「最初の認定時だけの資格」になれば、政策の環境効果は薄れる。

3兆円は高いのか――比較すべきは「何を買うか」

約3兆円という数字は巨大である。しかし政策評価で単純に「高い」「安い」と言うのは難しい。

政府が買おうとしているのは水素そのものだけではない。国内の水電解産業、低炭素燃料輸入網、港湾インフラ、ボイラ・炉・タービン技術、長期オフテイク契約、CO₂削減、エネルギー調達先の多様化を同時に買おうとしている。

一方、同じ3兆円を再エネ、送電線、蓄電池、省エネ、ヒートポンプへ使った場合のCO₂削減効果と比較する必要もある。水素は変換損失が大きいため、直接電化できる用途では他技術のほうが安いことがある。

したがって政策の正しい問いは「水素は高いか」ではない。「水素以外では脱炭素が難しい用途へ、どれだけ選択的に支援できているか」である。

2030年代に価格差支援を評価するための七つの指標
  • 基準価格の低下:認定時から水素・アンモニアの必要価格がどれだけ下がったか。
  • 参照価格との差:補助単価が年々縮小しているか。
  • 設備利用率:電解装置、輸入基地、船、工業炉が実際にどれだけ動いているか。
  • 民間投資:公的支援1円に対し、どれだけ民間資金を呼び込んだか。
  • CO₂削減:ライフサイクルで1トン削減するのに公費がいくらかかったか。
  • 需要の自立:支援が縮小しても需要家が購入を続けるか。
  • 支援後10年:16年目以降も契約・供給網・設備が残っているか。

2030年は「ゴール」ではなく、最初の納品日

最初の認定案件の多くは、2028~2031年に供給を始める。つまり2026年現在、日本の価格差支援はまだ「成果が出た制度」ではない。契約と投資が始まった制度である。

2030年ごろ、愛知製鋼へ水素が流れ、川崎で低炭素アンモニアが化学原料になり、碧南と苫東厚真で輸入アンモニアが使われ、白州と福島で地域水素が工場へ届く。その時ようやく第一段階が始まる。

そこから15年、政府は価格差を支援する。その15年で電解装置が安くなり、再エネが増え、船が大型化し、港湾利用率が上がり、水素バーナやボイラが量産され、需要家が増えなければならない。

そして2040年代半ば、最初の案件で支援が終わり始める。

その時、水素が「補助金が切れたから終わる燃料」なら、3兆円は市場を買ったのではなく、15年間の時間を買っただけになる。

逆に、支援終了後も工場が水素を買い、供給者が設備を増設し、新規案件が補助なしで契約できるなら、価格差支援は市場形成に成功したことになる。

補助金の本当の目的は、補助金を不要にすること

水素政策では、「補助金が必要なほど高いなら使うべきではない」という批判がある。それは重要な警告である。競争力のない技術を永久に保護すれば、経済も脱炭素も弱くなる。

一方、電力、鉄道、通信、LNG、再生可能エネルギーなど、多くのインフラ産業は、初期段階で公的な制度、保証、市場ルールを必要としてきた。社会全体で先にインフラを作らなければ、個別企業には投資合理性が生まれないことがある。

価格差支援が正当化されるかどうかは、「支援があるから水素を使えた」という事実では決まらない。

15年間で何を学び、何を安くし、何を標準化し、何社の顧客を増やし、どの設備を世界へ売れるようにしたかで決まる。

日本は2017年、水素社会を世界に先駆けて宣言した。2024年、その社会を法律で支える仕組みを作った。2025年と2026年、最初の実際の事業へ公的資金を割り当て始めた。

次の問いは、もう技術ではない。

15年後、国が支払いを止めても、その市場は残っているか。

それが、日本の3兆円規模の水素実験に対する最も公平な採点基準になる。

2017年12月 日本が世界初の国家水素戦略「水素基本戦略」を策定。

2022年 水素・アンモニアの商用サプライチェーン向け価格差支援の制度設計を本格化。

2023年6月 水素基本戦略を改定。2040年1,200万トン程度の導入目標、官民15年間で15兆円超の投資方針を示す。

2024年5月 水素社会推進法成立。

2024年10月23日 同法施行。価格差支援、拠点整備支援、計画認定、規制特例が制度化。

2024年11月~2025年3月 価格差支援の申請受付。

2025年3月31日 締切までに計27件の計画申請。想定支援額は3兆円規模を大きく超える。

2025年9月30日 最初の2件を認定。愛知製鋼向けグリーン水素、レゾナック・日本触媒の低炭素アンモニア。

2025年12月19日 JERAと三井物産・北海道電力等の大型低炭素アンモニア2案件を認定。

2026年3月27日 山梨・サントリーと福島・ヒメジ理化の地域水素2案件を追加認定。価格差支援認定は計6件へ。

2028年 山梨・福島の2地域水素案件が供給開始予定。

2030年前後 愛知、川崎、碧南など最初の大型案件が相次ぎ供給開始へ。

2043年以降 2028年開始案件から15年間の価格差支援が順次終了。その後も原則10年間の供給継続が市場自立の試験になる。

取材注記・主な資料

2026年8月9日午前0時50分(日本時間)までに確認できた公開情報を使用しました。本稿の6案件は、2025年9月30日、12月19日、2026年3月27日に公表された価格差支援の認定案件を整理したものです。各案件に支払われる具体的な助成総額、基準価格、参照価格は公開資料から一律に確認できないため推測していません。「約3兆円」は制度全体の15年間の政策規模であり、6案件への確定支給額ではありません。