ヒトはなぜ二足で歩き、細身の骨格を持ち、大きな脳を収める頭蓋を獲得したのか。化石は形の変化を記録してきたが、その変化を生み出したDNA上の仕組みは長く見えにくかった。京都大学高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)の井上詞貴 特定准教授、Yizhi Yan 特定研究員らと、イスラエル・ワイツマン科学研究所のDavid Gokhman主任研究者らによる国際研究チームは、ヒト骨格系の進化に関わる遺伝子発現制御の変化を大規模に機能解析し、「シス制御変異アトラス」を構築した。研究成果は9月23日付の英科学誌Natureに掲載された。[1][2]

研究チームが着目したのは、タンパク質をつくる遺伝子そのものではなく、その遺伝子を「いつ、どこで、どれだけ働かせるか」を調整するDNA領域だ。京都大学の日本語発表は、ヒトとチンパンジーのゲノムが98%相同である一方、形態的な違いを生み出す重要な変化の多くは遺伝子発現の調節領域に潜んでいる可能性があると説明する。[1]

561,410機能を調べたヒト由来の候補制御変異
15,077ヒト特異的な制御活性を示した候補シス制御領域
4,463融合細胞で検出したヒト特異的なシス制御発現変化
約3〜4分の1大型類人猿と比べたヒト関節のGAG含量

「骨の遺伝子」を探すのではなく、遺伝子の使い方を調べる

生物の形は、どのタンパク質を持っているかだけでは決まらない。同じ遺伝子でも、胚のどの場所で、どの時期に、どれほど強く発現するかによって結果は変わる。プロモーターやエンハンサーと呼ばれるシス制御領域は、その発現量や発現場所を調整する「スイッチ」や「つまみ」に相当する。

この考え方には長い歴史がある。1975年、Mary-Claire KingとAllan Wilsonは、ヒトとチンパンジーのタンパク質配列の類似性に比べて両者の形態や行動の差が大きいことから、進化上重要な違いの多くが遺伝子発現の制御にある可能性を提起した。後のゲノム研究は、非コード領域やシス制御領域の変化が種間の形態差に関与し得ることを積み上げてきた。[3][4]

ただし、候補となるDNA配列を見つけることと、それが実際に遺伝子発現を変えると示すことは別問題だ。今回の研究が重要なのは、ヒト系統で生じた大量の変異を、骨格形成に関係する細胞で実験的に機能評価した点にある。

56万1,410個の変異を一度に試す

研究チームは、ヒトのプロモーターやエンハンサーに存在し、ヒト系統で固定またはほぼ固定したと推定される56万1,410個の一塩基置換を候補として選んだ。これらを含むヒト型配列と大型類人猿型配列を合成し、大規模並列レポーター解析法(MPRA)で比較した。実験には、骨格の発生と維持に重要な軟骨細胞を用いた。[2]

MPRAでは、候補となる制御配列に識別用の短いバーコードを結び付け、細胞内でどれほどRNAが作られたかを数える。数十万の配列を同時に試すことで、どの変異が発現を強め、どの変異が弱めるのかを統計的に調べられる。今回、15,077の候補シス制御領域でヒト特異的な制御活性が検出された。[1][2]

化石が「骨格がどう変わったか」を示すとすれば、今回のアトラスは、その変化につながり得る遺伝子の使い方を、DNA配列の単位までさかのぼって調べる地図である。

ヒトと類人猿を「同じ細胞環境」に置く

MPRAだけでは、進化上の発現差すべてを捉えられない。挿入・欠失や構造変異もあれば、DNA配列そのものではなく細胞内の転写因子などが異なるために発現差が生じる場合もある。そこで研究チームは、ヒトとチンパンジー、さらにヒトとゴリラの細胞を人工的に融合し、骨・軟骨系の前駆細胞へ分化させた。[2]

融合細胞では、ヒト由来染色体と類人猿由来染色体が同じ核、同じ細胞環境を共有する。転写因子など「外側」の条件が共通になるため、それでもヒト側と類人猿側で発現量が異なれば、その差は各染色体の近傍にあるシス制御配列に由来すると考えやすい。京都大学は、この方法により種ごとの培養条件や環境差を抑えて公平に比較できると説明している。[1]

Nature論文では、この融合細胞を用いた解析で4,463のヒト特異的なシス制御発現変化を検出した。MPRAが「どの変異が制御活性を変えるか」を示し、融合細胞が「どの遺伝子の発現がヒト系統で変わったか」を示す。二つを重ねることで、配列変化から遺伝子、さらに経路へとつなぐことができる。[2]

浮かび上がったのは、軟骨を支える「糖鎖」の低下

統合解析で特に目立ったのが、細胞外基質(extracellular matrix、ECM)の再編だった。その中でも研究チームは、グリコサミノグリカン(GAG、ムコ多糖)の生合成に関わる遺伝子群が、ヒト系統で広範に抑制されていることを見いだした。[1][2]

GAGは糖鎖の一種で、軟骨細胞や神経細胞の周囲にある細胞外基質の主要成分である。水を保持し、組織に弾力性を与え、細胞同士のシグナル伝達にも関わる。軟骨では、圧力を受け止める性質を支える重要な材料だ。

論文では、ヒトと非ヒト大型類人猿の関節組織を比較し、ヒトのGAG含量が約3〜4分の1に低下していることを示した。さらに、GAG合成低下に関わる制御変化には選択の痕跡が見られ、細胞外基質タンパク質アグリカンのGAG結合部位には、ヒト特異的な反復配列の拡張も2カ所確認された。[2]

低いGAG量は、ヒトらしい形にどう関わるのか

研究チームは、GAG合成の低下によって生じることが知られている表現型と、ヒトに特徴的な骨格形態を比較した。その結果、低身長、顔面の平坦化、広い額、短い指、親指の向きの変化など、GAG減少と関連する形質がヒト特異的な特徴と有意に重なると報告した。論文では2.9倍の濃縮が示されている。[2]

ここは慎重に読む必要がある。この一致は、GAG低下がこれらの形態をすべて直接生み出したと証明するものではない。ヒトの骨格は多数の遺伝子、発生過程、力学的条件、生活史の変化によって形づくられてきた。今回の研究は、その複雑な進化の中で、細胞外基質とGAG代謝が広く再調整されたことを示し、その変化が形態進化の一部に寄与した可能性を提示した。

二足歩行の化石史と、ゲノムの地図

骨格進化そのものは、化石記録から段階的にたどることができる。米スミソニアン協会のHuman Origins Programによると、初期人類では少なくとも600万年前までに二足歩行を示唆する特徴が現れ、約410万年前のAustralopithecus anamensisでは、体重を片脚で支えることに適応した脛骨が見つかっている。約320万年前のAustralopithecus afarensis「ルーシー」は、短く幅広い骨盤と内側へ傾いた大腿骨を持ち、木登り能力を残しながら日常的に直立歩行していた。約190万年前までにはHomo erectusの骨盤と脚は長距離歩行により適した形になっていた。[5][6]

化石からは「いつ、どの形が現れたか」を読める。一方、ゲノムだけから「この変異がこの骨の形を作った」と直線的に復元するのは難しい。今回のアトラスの価値は、その二つの間を埋める候補を大量に提供したことにある。化石学が形態の時系列を、機能ゲノミクスが遺伝子制御の候補を示し、将来の実験で両者を結び付けていく。

人間らしさと、病気になりやすさは同じ進化の裏表か

研究チームがもう一つ注目したのが、変形性関節症などの退行性骨格疾患だ。GAGは軟骨の水分保持や力学的性質に関わるため、その量が減れば、長期的には関節組織の耐久性に影響する可能性がある。Nature論文は、GAG低下と関連する複数の退行性骨格疾患が、年齢、性別、環境要因を考慮しても非ヒト大型類人猿よりヒトで多いという既存研究を踏まえ、進化上のGAG減少がヒトの疾患感受性に寄与した可能性を論じている。[2]

しかし、ここでも「進化が関節炎を起こした」と結論づけることはできない。寿命、体重、運動、食事、医療診断の差も疾患頻度に影響する。今回の研究が示すのは、ヒトの骨格を特徴づけた制御変化の一部が、組織の耐久性との間に進化上のトレードオフを持った可能性だ。

今回の研究が直接示したこと/まだ示していないこと
  • 示した:56万超の候補変異の機能を軟骨細胞で測定し、ヒト特異的な制御活性を持つ領域を多数同定した。
  • 示した:融合細胞でヒト特異的なシス制御発現変化をゲノム規模で検出した。
  • 示した:GAG生合成経路がヒト系統で広く抑制され、ヒト関節でGAG含量が低いことを確認した。
  • 示していない:特定の一変異が二足歩行や頭蓋形態を単独で生み出したという因果関係。
  • 示していない:GAG低下だけでヒトの退行性骨格疾患の多さを説明できるという結論。

骨格進化研究に「実験可能な候補リスト」ができた

今回の成果の長期的な価値は、単一の発見だけではない。15,077の候補制御領域や4,463のヒト特異的発現変化は、将来の研究で個別に検証できる。CRISPRなどのゲノム編集を使って特定の制御配列を祖先型へ戻したり、逆にヒト型へ置き換えたりすれば、軟骨細胞やオルガノイド、動物モデルで形態や細胞外基質への影響を試せる可能性がある。

同時に、研究には限界がある。MPRAは候補配列を細胞内で機能評価する強力な方法だが、実際の染色体上での三次元構造や、胚発生の時期ごとの制御を完全に再現するものではない。融合細胞も、ヒトの発生そのものではない。研究チーム自身が、今回のアトラスを骨格進化の遺伝的基盤を解明するための「枠組み」と位置づけている。[2]

「何がヒトをヒトにしたか」を、形から制御へ

19世紀以来、人類進化研究は骨、歯、石器、地層からヒトの歴史を復元してきた。20世紀後半には分子進化学が加わり、21世紀には全ゲノム比較がヒトと類人猿の違いを塩基配列の単位で示した。そして現在、研究の焦点は「どこが違うか」から「その違いが細胞で何をするか」へ移りつつある。

ヒトとチンパンジーが非常に似た遺伝子セットを共有しながら、異なる骨格を持つという古くからの謎に対し、今回の研究は一つの具体的な答えを提示した。鍵の一部は、新しい遺伝子を獲得したことではなく、既存の遺伝子をいつ、どこで、どれだけ使うかを書き換えたことにある。

56万1,410個の変異を調べた先で浮かんだのは、たった一つの「ヒト化遺伝子」ではなかった。細胞外基質、糖鎖、軟骨を含む多数の制御変化が連携して組織の性質を変えた姿だった。ヒトの骨格進化は、一つのスイッチが入った事件ではなく、数百万年にわたる制御回路の組み替えだった可能性が高い。今回のアトラスは、その回路を実験的に読み解くための新しい地図になる。

出典

  1. 京都大学高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi):ヒト骨格系進化に関わる「シス制御変異アトラス」を構築(2026年9月24日)
  2. Yan Y, Mishol N, et al. The gene-regulatory evolution of the human skeleton. Nature (2026), DOI:10.1038/s41586-026-11053-x
  3. King MC, Wilson AC. Evolution at two levels in humans and chimpanzees. Science 188, 107–116 (1975)
  4. Shibata Y, et al. Extensive evolutionary changes in regulatory element activity during human origins. PLoS Genetics (2012)
  5. Smithsonian Institution Human Origins Program:Walking Upright(二足歩行の化石記録)
  6. Smithsonian Institution Human Origins Program:AL 288-1 “Lucy”