数字には、同じ「兆円」でも性格の違いがある。各省庁が財務省に提出する概算要求は、翌年度に使うことが確定した歳出ではない。政策を実現するための入り口であり、財務省の査定、政府案の決定、国会審議を経て初めて予算になる。約143兆円という見出しは、日本の財政がどこへ向かおうとしているかを示す強い信号ではあるが、成立予算の金額ではない。
過去最大をつくった三つの層
第一は、構造的に増える支出だ。年金・医療などの社会保障、防衛、地方交付税、そして国債の償還と利払いは、短期間で自由に削れる経費ではない。政府の概算要求方針は、年金・医療等について2026年度当初予算に3,900億円の自然増を加えた範囲で要求できるとした。防衛力整備計画の対象経費も、計画を踏まえて必要額を求める仕組みである。
第二は、新設された「強く豊かな日本」投資枠だ。7月30日に閣議了解された方針は、危機管理投資や成長投資を通常歳出と分け、国内投資を通じて潜在成長率を引き上げる施策を対象にする。ここには要求上限を設けず、金額を示さない事項要求も認めた。複数年度計画を基本とし、GX、AI・半導体、経済安全保障などを念頭に置く。
第三は、会計上の見え方の変更である。政府は、恒常的な政策を補正予算で繰り返す運営から離れ、当初予算に寄せる方針を掲げた。ロイターが伝えた日本経済新聞の計算では、約143兆円は2025年度補正予算と2026年度当初予算の合計140.6兆円を2兆〜3兆円上回る。つまり、単純な「前年度当初比」だけでは大きく見えすぎる一方、通年予算と比べてもなお増える可能性がある。
要求額を押し上げる国債費
最も重い固定物は借金の後始末だ。財務省所管の一般会計要求38兆6,948億円のうち、国債費は36兆6,386億円を占める。内訳は債務償還費20兆25億円、利子及び割引料16兆5,888億円。利子及び割引料だけで前年度当初予算から3兆5,516億円増える。国債費全体の増加額5兆3,628億円は、それだけで多くの省庁の年間予算を上回る規模だ。
長く続いた低金利期には、国債残高の大きさが直ちに同じ割合の利払い増へつながらなかった。しかし、借り換えが進むにつれて高い金利が既発債に浸透する。財務省の2026年度予算後の試算も、金利が前提より1ポイント高ければ2027年度の国債費が0.8兆円増える機械的な感応度を示している。これは予測ではないが、金利環境が予算の余白を左右する度合いを表す。
省庁別の数字は、足し算の前に「範囲」を見る
各省庁の発表には、一般会計だけの数字、特別会計を含む関連予算、まだ金額を置かない事項要求が混在する。以下は規模感を示す代表例であり、各行を合計して約143兆円を再現する表ではない。
| 項目 | 2026年度の基準 | 2027年度要求 | 読み方 |
|---|---|---|---|
| 一般会計全体 | 当初予算 122.3兆円 | 約143兆円(報道集計) | 補正から当初への移行を含むため、単純な差額がすべて純増ではない。 |
| 財務省所管・国債費 | 31兆2,758億円 | 36兆6,386億円 | 一般会計。債務償還と利払い等。前年度当初比5兆3,628億円増。 |
| 厚生労働省 | 一般会計 35兆433億円 | 36兆5,803億円 | 一般会計。年金・医療等に加え、投資枠1兆337億円を含む。 |
| 経済産業省関係 | 3兆693億円 | 7兆7,859億円 | 一般会計と特別会計などを含む「関係予算」。一般会計総額と同じ範囲ではない。 |
| 防衛力整備計画対象経費 | 当初 8.8兆円 | 歳出ベース約9兆円+事項要求 | 年内に改定予定の安全保障関連3文書に左右される事業は金額未定。 |
厚生労働省の36兆5,803億円と財務省の国債費36兆6,386億円が、ほぼ同じ大きさで並ぶのは象徴的だ。一方、経済産業省関係の7兆7,859億円は特別会計等を含むため、一般会計だけの省庁要求と横並びにはできない。防衛省も約9兆円に加え、戦略文書の改定に伴う事業を事項要求にしており、最終額はまだ動く。
「シーリング」の歴史が反転した
概算要求の上限、いわゆるシーリングは、予算膨張を入口で抑える道具として定着してきた。7月30日の財務相会見は、その歴史の転換を自ら強調した。会見では、高度成長期には前年比50%増のような要求基準もあったと振り返り、1982年度に初のゼロシーリング、1983年度に初のマイナスシーリングが導入されたと説明した。そのうえで今回の枠組みを、必要な要求を十分に出せるため「もはやシーリングと呼ぶべきものはありません」と表現した。
ただし、上限を外すことは、査定をなくすことと同じではない。閣議了解文は、歳出全般の優先順位を洗い直し、補助金・基金の自己点検を要求に反映し、通常歳出との関係を予算編成過程で精査すると明記する。入口の量的な壁を低くした分、年末の査定では、事業ごとの成長効果、民間投資の誘発、複数年度の総費用、財源の説明がより重くなる。
Japan.co.jpの分析:記録額より重要な四つの検査
- 重複:補正予算から移す事業と新投資枠の事業が二重計上されていないか。
- 総費用:複数年度計画の初年度だけでなく、将来の国庫負担を示しているか。
- 財源:税収、税外収入、新規国債のどれで賄い、金利上昇時にも持続できるか。
- 成果:「投資」の名称ではなく、生産性、供給力、民間投資など測定可能な目標があるか。
117.6兆円から143兆円へ——ただし物差しが変わった
財務省の公式集計では、2025年度の一般会計概算要求・要望は117兆6,059億円、2026年度は122兆4,454億円だった。後者の資料には、各府省の提出額をそのまま集計したもので、精査によって変動し得るとの注記がある。概算要求は以前から「最終予算」ではない。
それでも、約143兆円への上昇は急だ。2026年度要求から単純計算で約20.6兆円、約16.8%増える。ただし、この伸び率には補正予算から当初予算への組み替え、新設投資枠、金額未定の事項要求の扱いが混ざる。時系列の折れ線としては記録的でも、同じ制度・同じ範囲で測った純増率とは言えない。
8月末:各府省が概算要求・要望を財務省へ提出。
9月〜12月:財務省が査定。事項要求の金額、重複、財源、優先順位を詰める。
12月:政府が予算案を決定するのが通例。
2027年1月以降:国会が審議。可決・成立後、4月1日から新年度が始まる。
次に見るべき数字
第一は、財務省が公表する府省別の公式集計だ。約143兆円の範囲、事項要求の扱い、一般会計と特別会計の切り分けが明らかになる。第二は、2025年度補正と2026年度当初を合わせた140.6兆円との橋渡し表である。何が当初予算へ移り、何が新規に増えたのかが分からなければ、通年比較は完成しない。
第三は年末の政府案だ。要求がどれだけ削られたかだけでなく、投資枠の複数年度総額、事業評価の基準、国債発行と税収の前提を見る必要がある。約143兆円は、政府の意思を示す出発点であって、財政運営への評価を決める終点ではない。
資料・出典
- 財務省「令和9年度予算」(資料確認時点で概算要求基準を掲載)
- 財務省「令和9年度予算の概算要求に当たっての基本的な方針について」(2026年7月30日閣議了解)
- 財務省「財務省所管令和9年度概算要求をとりまとめました」(2026年8月28日)
- 財務省「令和8年度予算の後年度歳出・歳入への影響試算」(金利変動と国債費の機械的試算)
- 財務省「片山財務大臣兼内閣府特命担当大臣臨時閣議後記者会見の概要」(2026年7月30日)
- 厚生労働省「令和9年度予算概算要求の概要」
- 経済産業省「令和9年度 経済産業省関係 概算要求等概要」
- 防衛省「防衛力の変革に向けた予算—令和9年度概算要求の概要—」(2026年8月31日)
- 財務省「令和8年度一般会計概算要求・要望額」(2025年9月3日)
- 財務省「令和7年度一般会計概算要求額」に関する財務相会見(2024年9月6日)
- Reuters「Japan's 2027 budget requests swell to record …, Nikkei says」(2026年8月31日。約143兆円と140.6兆円の比較の出典)
本稿は2026年9月1日午前5時30分(日本時間)までに公開された資料を照合した。日本語の制度名と引用は日本語の政府一次資料で確認し、英語報道から日本語の発言を復元していない。金額は原則として各発表資料の表記に従い、一般会計、特別会計を含む関係予算、歳出ベースを区別した。約143兆円のみ報道集計であり、公式集計ではない。
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