電流を「正しく測る」ための装置を、ダイヤモンドで小さくする。産業技術総合研究所(産総研)、東京科学大学、量子科学技術研究開発機構(QST)の研究チームが、ダイヤモンド量子センサーを使い、交流(AC)と直流(DC)の電流比を同じ装置構成で高精度に評価できる小型の電流比較器を開発した。[1]
成果の核心は、派手な「量子」という言葉ではない。従来は交流用と直流用で別々の原理・装置・校正体系を維持してきた電流計測を、一つの構成へ近づけた点にある。研究チームは、従来型と比べて電流比較器の中心部分のサイズを3分の1以下、質量を10分の1以下に縮小した。交流・直流とも、入力1アンペアに対する繰り返し測定で約5×10−8 A/Aの再現性を示した。[1]
論文は2026年8月11日付でScientific Reportsに掲載された。題名は「Current comparator for both AC and DC ratio measurements with 10−8-level type-a uncertainty」。9月28日には産総研が英語版の研究紹介を公開し、国際向けにも成果を発信した。[2][3]
なぜ「電流比」を測るのか
発電所や送電線、工場の配電設備では、数百アンペア級の大電流を扱う。そうした電流を測定器へ直接入れることはできないため、一般には変流器(CT)で測りやすい数アンペア程度へ比例変換する。
ここで重要になるのが、元の電流と変換後の電流の比、すなわち「電流比」である。100 Aを5 Aへ変換したつもりでも、その比がわずかにずれていれば、積算電力量、設備診断、保護リレー、効率評価などへ誤差が広がる。高精度な電流計測には、変流器そのものをさらに精密な標準で校正する必要がある。[1]
その標準の一つが電流比較器だ。二つの巻線が作る磁束を互いに打ち消すよう調整し、釣り合ったときの巻数比から電流比を求める。磁束がほぼゼロになる点を使うため、極めて高い精度を得られる。
交流と直流は、同じ「電気」でも校正の仕組みが違う
従来の交流用電流比較器では、電磁誘導を利用する検出コイルによって磁束のずれを捉える。この方法は交流には強いが、時間的に変化しない直流では同じ原理をそのまま使えない。そのため交流と直流で別々の測定原理、装置構成、校正体系が必要だった。[1]
研究チームは、この検出部をダイヤモンド量子センサーへ置き換えた。交流でも直流でも磁場そのものを読み取れるため、同じセンサー構成で両方を扱える。
ダイヤモンドの「欠陥」がセンサーになる
量子センサーに使われるのは、宝石としての完全なダイヤモンドではない。ダイヤモンド結晶中に窒素原子と空孔が隣り合う「NVセンター」と呼ばれる欠陥を作り込み、その電子スピンの量子状態を利用する。
研究チームの装置では、量子ダイヤモンドへ緑色レーザーを照射し、特定周波数のマイクロ波を加える。すると赤色蛍光の強さが周囲の磁場に応じて変化する。この変化を読み取ることで、磁性体コアのギャップから漏れ出すごく小さな磁束を検出する。さらに磁場と温度を独立に測定できるため、温度変化の影響を抑えやすい。[1]
この仕組みは、従来の交流用比較器に必要だった大型の検出コイルを不要にした。その結果、中心部の小型・軽量化が可能になった。
3分の1以下、10分の1以下
今回の試作器では、中心部のサイズを従来構成の3分の1以下、質量を10分の1以下へ縮めた。これは単に実験室の机が広くなるという話ではない。
国家標準や高精度校正の装置は、精度を守るために大きく、複雑で、設置条件も厳しくなりがちだ。小型化できれば、校正設備そのものを簡素化し、将来的にはより多くの現場へ精密計測を近づけられる可能性がある。
ただし、今回の成果は「製品化済み」という意味ではない。産総研は今後、周波数範囲の拡大と感度向上を進め、光ファイバー一体型なども使って、従来必要だった大型定盤を排した、よりコンパクトで堅牢なシステムを目指すとしている。[1]
交流では300 Hz程度まで、直流でも同等の再現性
交流測定では、入力電流に対応する周波数成分を取り出し、巻線比で決まる理想値からのずれを評価した。研究チームは約300 Hzまで、測定結果が磁性材料の周波数特性を考慮した理論曲線と矛盾しないことを確認した。[1]
繰り返し測定の安定性を示すアラン偏差を解析すると、交流では50 nAまで低下し、入力1 Aに対して約5×10−8 A/Aの再現性となった。産総研は、国家標準に要求される1×10−6 A/Aレベルを十分に上回る性能と説明している。[1]
直流では事情が違う。周波数成分を分離できず、地磁気の影響も受けるため、電流を流した状態と流していない状態との差分を取った。十分に安定した後のデータを比較することで、直流でも同じく約5×10−8 A/Aの繰り返し再現性を確認した。[1]
研究を成立させた三つの専門性
この成果は一つの研究室だけで生まれたものではない。産総研は精密電気計測と電流比較器の国家標準の維持・管理、東京科学大学はダイヤモンド量子センサー、QSTはダイヤモンド結晶中に高品質な窒素・空孔複合欠陥を形成する技術を担ってきた。[1]
研究チームには、産総研の量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター(G-QuAT)の天谷康孝チーム長、貝沼雄太研究員、物理計測標準研究部門の村松秀和研究員、先進パワーエレクトロニクス研究センターの加藤宙光研究チーム長、東京科学大学工学院電気電子系の岩崎孝之教授、QSTの大島武センター長らが参加した。[1]
電流比較器には60年以上の歴史がある
電流比較器の基本概念は新しいものではない。高精度な交流変流器校正の必要から、1950年代末から1960年代初頭にかけて、旧ユーゴスラビアのニコラ・テスラ研究所とカナダ国立研究評議会(NRC)で開発が進んだ。1961年にはN.L. KustersとW.J.M. Mooreによる代表的論文が発表され、その後、直流へも応用が広がった。CERNの技術史レビューも、この系譜を電流比較器と直流電流変成器の発展の起点としている。[4]
今回の研究は、その古典的な「磁束をゼロへ追い込む」測定思想を捨てたのではない。むしろ、ゼロ磁束を見つける検出器だけを量子センサーへ置き換えた。60年以上続く計量技術に、21世紀の量子材料を差し込んだ点に面白さがある。
2019年、アンペアの定義も量子の世界へ移った
電流計測の背景には、単位そのものの変化もある。国際単位系(SI)のアンペアは2019年以降、電気素量eを正確に1.602 176 634×10−19クーロンと定めることで定義されている。つまり1アンペアは、単位時間あたりに流れる電荷の基本量へ結び付けられた。[5]
ただし、定義が量子定数になったからといって、発電所の数百アンペアを直接「電子を数えて」測るわけではない。実際の社会では、国家標準から校正機関、変流器、現場の測定器へと精度を受け渡す「トレーサビリティ」の連鎖が必要になる。今回の電流比較器は、その連鎖の中間を効率化する技術だ。
再エネ時代はACとDCが混ざる
電力網は長く交流中心で発展してきた。しかし太陽光発電はパネル内部では直流、蓄電池も直流、EVのバッテリーも直流で動く。インバーターやパワーコンディショナーが交流と直流を頻繁に行き来させる。
データセンターや高効率電力変換でもDC配電への関心が高まり、次世代電力網ではACとDCが共存する領域が増えていく。そこで校正装置までAC用とDC用で完全に別体系のままだと、設備、管理、データ処理の負担が増える。
産総研が今回の成果を「校正体系の共通化を進める基盤技術」と位置付けるのはこのためだ。発電設備や送配電設備だけでなく、パワーエレクトロニクス、蓄電池、EV、高精度製造装置など、電流の正確さを必要とする産業へ波及する可能性がある。[1]
量子技術の評価は「何が置き換わるか」で見る
量子センサーという言葉は未来技術の印象を与えやすい。しかし産業への価値を判断するには、「何がどれだけ良くなったのか」を具体的に見る必要がある。
今回なら、交流と直流で別だった校正系を同じ構成へ近づけたこと、検出コイルを外して中心部を大幅に小型・軽量化したこと、そして10−8レベルのType A不確かさを扱える再現性を示したことが実質的な成果だ。[2]
次の壁は研究室から現場への移行である。周波数範囲、長期安定性、耐環境性、操作性、校正手順、コストまで含めて、従来システムより総合的に有利かを証明しなければならない。
それでも、電力網の裏側を支える「校正」という地味な世界で、量子センサーが具体的な装置の小型化と体系統合に結び付いた意味は大きい。電気を作る技術が変われば、電気を測る技術も変わらなければならない。
その変化を支えるのが、一粒のダイヤモンドに作り込んだ、目に見えない結晶欠陥なのである。

