マンションの大規模修繕は、住民にとって「いつか必要になる工事」ではない。十数年かけて積み立てた修繕積立金を一度に大きく動かす、管理組合最大級の意思決定である。外壁、防水、シーリング、鉄部、給排水設備。建物を長く使うために避けて通れない工事だからこそ、誰に頼み、いくらで発注するかには透明な競争が必要になる。
その競争が、入口から崩れていた――。公正取引委員会は2026年9月28日、関東1都6県のマンション管理組合が発注した大規模修繕工事を巡り、設計コンサルタント2社と施工会社40社、計42社について独占禁止法第3条の「不当な取引制限」に当たる行為を認定した。報道によると対象は171件。37社に合計約16億円の課徴金納付命令、38社に排除措置命令が出された。
「競争入札」に見えても、勝者が先に決まっていた
公取委が示した仕組みは二系統ある。一つは株式会社リノシスコーポレーションが設計コンサル業務を受託した案件、もう一つは株式会社翔設計が受託した案件だ。前者では施工業者36社とリノシスコーポレーション、後者では施工業者19社と翔設計について、それぞれ受注調整が認定された。両グループに参加した企業があるため、単純合計ではなく、事件全体の違反事業者は42社とされる。
公取委によると、施工会社側と設計コンサル側は工事ごとに「受注協力関係」を構築し、受注予定者を決めた。受注予定者以外の会社は、指定された見積価格を管理組合に提示したり、見積り合わせに参加しなかったりして、予定された会社が受注できるよう協力した。
ここで設計コンサルの位置が重い。公取委は「設計コンサル業務」を、建物の劣化診断、工事範囲・仕様を定める設計図書の作成、施工会社の選定補助、工事監理などを含む業務と定義する。本来は、専門知識を持たない管理組合が適正な発注を行うための支えだ。その立場にある者が、管理組合の非公開情報を受注側へ渡していたと認定されたことで、単なる横並びの談合より深い利益相反が浮かび上がる。
「設計予算」は住民側のカードだった
公取委は「設計予算」を、管理組合が決定する大規模修繕工事の発注予定金額と定義している。買い手にとっては、交渉の上限や資金計画に直結する重要な内部情報だ。これを売り手側が事前に知れば、競争価格をどこまで下げる必要があるかを推測しやすくなる。
公取委の認定では、設計コンサル業者は受注予定者等へ設計予算などを提供し、その意向を踏まえて設計コンサル業務を行っていた。競争の舞台を整えるはずの専門家が、舞台裏で勝者側と動けば、複数見積りという形式が残っても、その比較機能は失われる。
管理組合が買っているのは塗料や足場だけではない。公平な比較が働く「発注のプロセス」そのものだ。
約5%の「手数料等」――公取委が別途警告した理由
公取委は審査の過程で、リノシスコーポレーションまたは翔設計が発注情報を施工業者へ提供し、その施工業者が受注した場合、工事請負契約金額の一定割合に相当する「手数料等」が施工業者から設計コンサル業者へ支払われていた事実を確認した。
公取委自身の公表文は割合を明示していない。時事通信は受注額の約5%が「情報料」などとして支払われていたと報じている。本稿では5%という数字を公取委の公式認定値ではなく、報道値として扱う。
重要なのは、その支払いが存在するだけで直ちにすべて違法だ、と公取委が述べているわけではない点だ。公取委は、設計コンサルから施工会社へ提供される情報の内容などによっては、施工会社間の自由な競争をゆがめるおそれがあるとした。その上で、全国マンション改修設計コンサルタント協会、マンション計画修繕施工協会、日本塗装工業会の3団体に資料を示し、会員への周知を申し入れた。
なぜこの市場は脆弱なのか
大規模修繕は、普通の商品購入より発注者と受注者の情報格差が大きい。管理組合の理事は、多くの場合、建築工事の発注を職業にしているわけではない。しかも役員は交代する。工事内容は専門的で、金額は大きく、品質の良し悪しは完成直後だけでは判定しづらい。
そこで設計・監理方式が広く使われる。国土交通省資料では、2021年度の実態調査において大規模修繕工事の発注方式の約8割が設計・監理方式だった。設計者・監理者と施工者を分ければ、理屈の上では相互チェックが働く。だが、その独立性が崩れれば、発注者は「専門家に任せた」という安心感ごと利用されかねない。
国は2017年にすでに警告していた
今回の処分は、突然発見された新しい問題ではない。国土交通省は2017年1月27日、マンション関係団体に通知を出し、管理組合の利益と相反する立場に立つ設計コンサルタントの存在が指摘されているとして注意を促した。
翌2018年、国交省は大規模修繕工事944事例を対象に、工事金額、内訳、設計コンサル業務の内容・業務量を初めて調査した。公表資料では、格安のコンサル料金で受託した上で、自社にバックマージンを支払う施工会社が受注できるよう工作し、割高な工事費や過剰な仕様へ誘導するという利益相反の例まで明示した。
つまり、政策側は少なくとも9年前から構造的なリスクを把握していた。今回の行政処分は、その警告が抽象論ではなかったことを示した。
2008年: 国交省が長期修繕計画作成ガイドラインを策定。
2017年1月: 設計コンサルを活用する大規模修繕で利益相反への注意喚起。
2018年5月: 944事例を分析した初の大規模修繕工事実態調査を公表。
2021年度: 再調査で設計・監理方式が大半を占める市場構造を確認。
2025年: 関係企業への立入検査が進む。SMCRは4月23日の検査を公表。
2026年9月28日: 公取委が42社の違反を認定。国交省は同日、管理組合へ相談窓口等を再周知。
2026年9月29日: 国交省が発注適正化の新検討会を設置すると発表。
老朽マンションの急増で、問題はこれから大きくなる
この事件の社会的な重さは、日本のマンションが一斉に高経年化していることにある。国土交通省は2025年末時点の分譲マンションストックと築40年以上の戸数を継続的に更新している。直前の2024年末統計では築40年以上が約148万戸あり、10年後には約293万戸、20年後には約483万戸に増えると推計していた。
古い建物ほど修繕は複雑になる。1回目は外壁・防水が中心でも、2回目、3回目になると建具、給排水、機械式駐車場など更新対象が増えやすい。資材費と人件費の上昇も重なる。住民が毎月積み上げる修繕積立金が不足すれば、一時金や借入、工事項目の先送りという難しい選択を迫られる。
競争が正しく働くことは、その限られた資金を守る基本条件になる。
「安いコンサル料」が必ずしも安いとは限らない
2018年の国交省調査が注目したのは、設計コンサルの報酬そのものだけではない。業務量が著しく低くないか、特に工事監理の人・時間が少なすぎないかを確認するよう管理組合に促した。表向きのコンサル料金が安くても、別の経路で施工会社から収入を得る仕組みがあるなら、発注者にとって総コストが安いとは限らない。
この点で今回の事件は、マンション管理組合に「最低価格」を追うだけでは足りないという教訓を残す。誰から報酬を受け取るのか。施工会社との過去の取引はあるのか。候補業者を誰が集めるのか。見積条件は同一か。予定価格に当たる情報へ誰がアクセスできるのか。発注プロセスの設計そのものが競争政策になる。
管理組合が確認したい発注プロセス
- 設計・監理者と施工会社の資本関係、継続取引、紹介料・手数料等の有無を開示させる。
- 候補施工会社をコンサルだけに任せず、管理組合側でも募集経路を持つ。
- 同一仕様・同一条件で見積りを取り、提出経路と締切を管理する。
- 見積書の不自然な近似、辞退の集中、同じ誤記・書式などがないかを見る。
- 設計予算、予算上限、他社見積りなどの機密情報へのアクセス権限を限定する。
- 価格だけでなく、工事監理体制、実績、保証、財務、施工責任者を比較する。
- 疑問があれば住宅リフォーム・紛争処理支援センターやマンション管理センターなど公的相談窓口を使う。
処分された企業側も対応を始めた
三井住友建設は、子会社SMCRが排除措置命令と課徴金納付命令を受けたと公表し、2025年4月23日の立入検査以降、調査に全面的に協力してきたと説明した。命令を「厳粛に受け止め」、関係子会社への指導・監督と再発防止に取り組むとしている。
長谷工リフォームも9月28日付で命令書の受領を公表している。個々の会社が命令内容をどの範囲で争うのか、あるいは受け入れるのかは、各社の今後の開示を確認する必要がある。行政処分を受けたという事実と、各社の将来の法的対応は分けて見るべきだ。
国交省は翌日に新しい検討会を発表した
国土交通省は処分当日の9月28日、管理組合と区分所有者に対し、発注に関する相談窓口を改めて周知した。そして翌29日には「マンション大規模修繕工事の発注等の適正化に関する検討会」の設置を発表した。第1回は10月19日の予定で、管理組合が留意すべき事項や、適切な事業者を確保するための方策を議論する。
これは重要な転換点になり得る。これまでの政策は、管理組合へ注意を促し、相場情報やガイドラインを提供する色彩が強かった。今回、競争当局が具体的な違反構造を認定したことで、発注ルール、利益相反の開示、コンサルタントの独立性を制度的にどう担保するかという議論が避けられなくなった。
修繕積立金は「共同財布」である
公共工事の談合なら、被害を受けるのは税金だと直感的に理解しやすい。マンション修繕では、発注者は何十、何百世帯から成る管理組合だ。資金の原資は、住民が毎月払い続けてきた修繕積立金である。
そのため問題は私企業間の競争法違反にとどまらない。高齢化する居住者、上がる工事費、増える修繕項目の中で、建物を維持するための共同資産がどれだけ有効に使われるかという住宅政策の問題でもある。
大規模修繕では、足場が外れれば工事は終わったように見える。だが、発注が適正だったかを後から外壁を見て判断することはできない。品質を守る前に、まず競争を守らなければならない。今回の42社事件が突きつけたのは、その単純で重い原則である。
主な出典と取材メモ
- 公正取引委員会(2026年9月28日) — 関東地区のマンション大規模修繕工事を巡る排除措置命令・課徴金納付命令。違反行為の認定、設計コンサル業務・大規模修繕工事・設計予算の定義、手数料等の確認を含む一次資料。
- 国土交通省(2026年9月28日) — 公取委処分を受け、管理組合等へ相談窓口と適正発注上の留意点を再周知した一次資料。
- 国土交通省(2026年9月29日) — 「マンション大規模修繕工事の発注等の適正化に関する検討会」の設置。第1回は10月19日予定。
- 国土交通省(2018年5月11日) — 944事例を対象にした初の大規模修繕工事実態調査。利益相反やバックマージンを巡る問題意識を明示。
- 国土交通省・マンション管理 — 長期修繕計画、修繕積立金、大規模修繕発注のガイドライン・相談情報。
- 国土交通省・マンション統計 — 2025年末現在の分譲マンションストック、築40年以上ストック等の公式統計への入口。
- 時事通信/nippon.com(2026年9月28日) — 42社、171件、課徴金約16億円、受注総額約310億円、約5%の情報料等を報道。金額・割合は公取委本文ではなく時事通信報道として扱った。
- 三井住友建設(2026年9月28日) — 子会社SMCRが命令を受けたこと、2025年4月23日の立入検査以降調査に協力したことを公表。
- 長谷工リフォーム — 2026年9月28日付で排除措置命令書・課徴金納付命令書の受領を公表。
本稿は2026年9月30日までに公表された資料を基に作成した。42社・171件・課徴金総額・受注総額・約5%という数値のうち、公取委本文に明記されていないものは時事通信などの報道値として明確に区別した。個別マンション名、各管理組合の実損額、各案件で競争がなかった場合と比べて価格が何%押し上げられたかは、公表資料からは確定できない。
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