空気の約8割を占める窒素は、植物も人間もそのままでは利用しにくい。窒素分子(N₂)の強固な三重結合を切り、アンモニア(NH₃)へ変える「窒素固定」は、肥料を通じて世界の食料生産を支える一方、巨大なエネルギーを必要とする産業でもある。東京大学、京都大学、京都工芸繊維大学、大同大学の研究チームは、モリブデン分子触媒を用い、ヨウ化サマリウム(SmI₂)と水からアンモニアをつくる反応について、窒素分子が触媒に取り込まれてからNH₃が放出され、触媒が再生されるまでの全反応機構を明らかにした。成果は9月24日付のNature Communicationsに掲載された。[1][2]

研究を主導したのは、京都大学福井謙一記念研究センターの吉澤一成研究員、東京大学大学院工学系研究科の西林仁昭教授、大同大学の田中宏昌教授、京都工芸繊維大学材料化学系の中村泰司助教ら。実験で反応中間体の類縁体を取り出し、量子化学計算で反応経路とエネルギー変化を追うことで、これまで断片的だった触媒サイクルを一つにつないだ。[1]

常温・常圧このMo触媒系でアンモニアを生成する反応条件
4段階触媒サイクルの主要プロセス
+3.9 kcal/molイミド生成段階の自由エネルギー変化
60,000 equiv.2023年報告で達成したMo触媒1個当たりのNH₃生成量

100年以上続くハーバー・ボッシュ法の壁

現代のアンモニア産業を支えるのはハーバー・ボッシュ法である。フリッツ・ハーバーは1900年代初頭、窒素と水素を高温・高圧下で反応させてアンモニアを合成する方法を実証し、カール・ボッシュが1913年ごろまでに高圧装置、材料、触媒技術を工業規模へ引き上げた。ハーバーは1918年のノーベル化学賞、ボッシュは1931年のノーベル化学賞を受賞している。[3][4]

この方法は人類史を変えた。空気中の窒素を大量の肥料へ変換できるようになり、20世紀の農業生産を大幅に押し上げた。一方で、現在のアンモニア製造は依然として化石燃料への依存度が高い。国際エネルギー機関(IEA)は、アンモニア生産が世界の最終エネルギー消費の約2%を占め、直接CO₂排出量は年間約4億5,000万トンに達すると推計している。約70%は肥料向けに使われる。[5]

問題の一部は高温・高圧そのものだが、より大きいのは水素のつくり方である。現在は天然ガスの水蒸気改質や石炭ガス化から水素を得ることが多く、その過程でCO₂が発生する。再生可能電力で水を電気分解し、そこから得た水素をハーバー・ボッシュ法に使う「グリーンアンモニア」は有力な脱炭素ルートだが、電解装置、電力、設備投資の課題が残る。

生物は常温常圧で窒素を固定する

化学者が長く注目してきたのは、自然界の窒素固定酵素「ニトロゲナーゼ」である。特定の微生物は、モリブデンや鉄を含む複雑な金属クラスターを使い、常温・常圧に近い条件で窒素をアンモニアへ還元する。生物はATPという化学エネルギーと電子、プロトンを消費するため、無償で反応しているわけではない。それでも、「高温・高圧でなくてもN≡N結合を切れる」という事実は、分子触媒研究の長年の目標になってきた。

西林教授らの研究グループは2019年、モリブデン錯体を触媒に、SmI₂を還元剤、水またはアルコールをプロトン源として、常温・常圧で窒素からアンモニアを生成できることをNatureに報告した。触媒1個当たり最大4,350当量のNH₃を生み、生成速度は当時の人工分子触媒系として非常に高く、ニトロゲナーゼに近い速度域に達した。[6]

2023年にはPCP型ピンサー配位子を持つモリブデン錯体を改良し、25℃、窒素1気圧の条件で、モリブデン原子当たり6万当量のアンモニアを72時間で生成した。遷移金属錯体を用いた当時の報告例の中で極めて高い触媒回転数だった。[7]

今回の前進は「アンモニアができた」という記録更新ではない。どこで電子とプロトンが動き、どの段階が最も苦しく、触媒がどう元の状態へ戻るのかを分子レベルでつないだことにある。

触媒サイクルは4つの主要過程で回る

Nature Communications論文が示した触媒サイクルは、大きく4段階に分けられる。第一は、モリブデン―ニトリド錯体に電子とプロトンが順次加わり、Mo≡Nの窒素がMo–NH、Mo–NH₂、Mo–NH₃へと水素化される「アンモニア形成」。第二は、二つのモリブデン錯体が窒素分子を橋渡しとして二量化する過程。第三は、結合していたアンモニアが順次放出される過程。そして第四が、架橋したN₂の三重結合を切り、新たなモリブデン―ニトリド錯体を再生する過程である。[2]

触媒である以上、反応の最後にモリブデン錯体が再生されなければならない。この「戻り道」まで含めて全体を説明できた点が、今回の研究の核心だ。

見えない中間体を「似た分子」で捕まえる

反応の途中で現れるMo–イミド(Mo–NH)やMo–アミド(Mo–NH₂)は反応性が高く、そのまま単離するのが難しい。研究チームはそこで、水素の代わりにメチル基を導入したMo–メチルイミド錯体やMo–メチルアミド錯体を安定な類縁体として合成・単離した。メチル化と水素化を段階的に進めることでメチルアミンが生成し、モリブデン―ニトリド錯体が再生されることも確認した。[2]

もちろん、メチル化した化合物は実際のMo–NHやMo–NH₂そのものではない。そこで研究チームは密度汎関数理論(DFT)計算を行い、Mo–N結合の構造や電子状態が実際に想定される触媒中間体とよく似ていることを示した。実験で「形」を捕まえ、理論計算で本来の反応系へ橋を架けた。

水のO–H結合をSmI₂が弱める

反応のもう一つの中心がSmI₂と水の組み合わせだ。水は安定な分子で、そのO–H結合を切って水素を触媒へ渡すにはエネルギーが必要になる。論文では、テトラヒドロフラン(THF)溶媒中でSmI₂に水が配位した構造として、[SmI(H₂O)(thf)₅]Iを理論的に提案した。[2]

計算では、自由な水分子のO–H結合の結合解離自由エネルギーが107.2 kcal/molであるのに対し、Smに配位した水では36.1 kcal/molまで大きく弱まる。つまりSmI₂は単なる電子の供給源ではなく、水を「水素を渡しやすい状態」に変える役割も果たしている。[2]

鍵はプロトン共役電子移動

アンモニア形成段階では、電子移動(electron transfer、ET)とプロトン移動(proton transfer、PT)が別々に進むのではなく、両者が協調する「プロトン共役電子移動(proton-coupled electron transfer、PCET)」が重要だった。研究チームの計算では、SmI₂–H₂O複合体からモリブデン錯体へプロトンが移るのに伴い電子も移動し、N–H結合が形成される。[2]

ここでは、還元力が強ければよいわけでも、酸が強ければよいわけでもない。電子を与える能力とプロトンを与える能力のバランスが必要になる。今回の研究は、SmI₂と水の組み合わせがなぜ反応を大幅に加速するのかを、このPCETの観点から説明した。

最も苦しいのは、最初の「Mo–NH」をつくるところ

全触媒サイクルの自由エネルギーを計算すると、最も進みにくいのはモリブデン―ニトリドからモリブデン―イミドへ移る最初の水素化だった。イミド生成の自由エネルギー変化は298 Kで+3.9 kcal/mol。SmI₂–H₂O複合体とMo–ニトリドからイミドへ至る活性化自由エネルギーは5.1 kcal/molと計算された。[2]

一方、イミド形成後を含むNH₃形成プロセス全体は−12.0 kcal/molで発熱的に進む。二量化、NH₃放出、N≡N結合の切断も熱力学的に有利と計算された。つまり、性能改善の焦点はかなり絞られた。最初のMo–NH結合形成をより容易にできれば、触媒全体の効率を引き上げられる可能性がある。[2]

触媒サイクルの4段階
  • 1. アンモニア形成:Mo≡N → Mo–NH → Mo–NH₂ → Mo–NH₃へ順次水素化。
  • 2. 二量化:2分子のMo錯体がN₂を架橋して結合。
  • 3. NH₃放出:結合したアンモニアを順次放出。
  • 4. 触媒再生:架橋N₂のN≡N結合を切断し、Mo–ニトリドを再形成。

「常温常圧」は「省エネ商用プロセス」と同義ではない

今回の研究を「ハーバー・ボッシュ法をすぐ置き換える技術」と読むのは誤りだ。反応そのものは常温・常圧で進むが、SmI₂は強力な還元剤であり、その製造や再生まで含むエネルギー、コスト、資源利用を考えなければ産業プロセスの優劣は比較できない。2019年のNature論文も、当時の反応系は工業利用には適していないと明記していた。[6]

また、実験室の分子触媒は希薄な溶液中で働き、反応速度、溶媒回収、触媒寿命、還元剤の循環、生成物分離など、工業化には別の課題が加わる。巨大な連続運転設備として100年以上磨き込まれたハーバー・ボッシュ法と、研究段階の分子触媒を単純に温度と圧力だけで比較することはできない。

それでも機構解明が重要な理由

触媒研究では、反応が起きることを見つける段階と、その理由を理解して設計へ戻す段階は別である。反応機構がわからなければ、配位子を変えるべきか、金属中心を変えるべきか、電子源やプロトン源を変えるべきか判断しにくい。

今回、ボトルネックがイミド形成であり、PCETに還元力とプロトン供与性の精密なバランスが必要だと示されたことで、次の触媒設計に具体的な指標ができた。モリブデン周辺の電子状態を調整する配位子設計、SmI₂に代わるより安価で循環可能な電子源、より扱いやすいプロトン源を組み合わせる研究につながり得る。

グリーンアンモニアの本命は一つではない

脱炭素アンモニアには複数のルートがある。再生可能電力から電解水素をつくり、既存のハーバー・ボッシュ設備へ供給する方法。化石燃料由来の水素を使いながらCO₂を回収・貯留する方法。電気化学的、光化学的、プラズマ化学的にN₂を還元する方法。そして今回のような分子触媒による窒素固定である。

IEAは、2050年のネットゼロ経路では、電解水素を使うアンモニアやCCSを組み合わせた製造など、ほぼゼロ排出の技術を大幅に拡大する必要があると分析する。同時に、現在実証段階にある技術の革新が必要だとしている。[5]

アンモニアは肥料からエネルギー媒体へ

アンモニアの重要性は肥料にとどまらない。NH₃は水素原子を多く含み、液化水素より扱いやすい条件で輸送・貯蔵できるため、水素キャリアとして注目されている。日本では火力発電でのアンモニア混焼や船舶燃料なども検討されてきた。ただし、燃焼時の窒素酸化物、製造時の排出、輸送コストを含めた全体評価が必要であり、「アンモニアを使えば自動的に低炭素」というわけではない。

だからこそ、製造段階の脱炭素は重要になる。肥料だけでなくエネルギー用途まで需要が増えるなら、従来型アンモニアを大量に増産するだけでは排出問題も拡大する。

化学史の次の一章は、反応条件より「電子の渡し方」か

20世紀初頭のハーバーとボッシュは、高圧技術と触媒工学で窒素を産業資源に変えた。21世紀の研究は、同じN≡N結合を別の方法で解くことに挑んでいる。今回の分子触媒では、高温高圧の代わりに、金属錯体の電子状態、プロトンの動き、電子の受け渡しを分子レベルで精密に設計する。

中村助教らの研究は、商用プラントの完成を意味しない。むしろ、これまでブラックボックスだった反応経路を開き、「どこを変えれば次に進めるか」を示した基礎化学の仕事だ。省エネルギー型アンモニア製造へつながるかどうかは、今後、より安価で再生可能な電子源、長寿命の触媒、溶媒・分離プロセス、全体エネルギー効率をどう設計できるかにかかる。

それでも、触媒が窒素を取り込み、水から水素を受け取り、アンモニアを放出して再び出発点へ戻るまでの一周を理解した意味は大きい。100年以上前に高圧装置が切り開いたアンモニア合成の歴史に、今度は分子設計と量子化学が新しい道筋を描き始めている。

出典

  1. 東京大学大学院工学系研究科:次世代型アンモニア合成法の触媒機構を解明(2026年9月24日)
  2. Nakamura T, Arashiba K, Konomi A, Tanaka H, Nishibayashi Y, Yoshizawa K. Unveiling full mechanistic picture of Mo-catalysed nitrogen fixation driven by SmI₂–H₂O system. Nature Communications 17, 9927 (2026)
  3. ノーベル賞:Fritz Haber – Facts(アンモニア合成)
  4. ノーベル賞:Carl Bosch – Facts(高圧化学法の工業化)
  5. 国際エネルギー機関(IEA):Ammonia Technology Roadmap – Executive Summary
  6. Ashida Y, et al. Molybdenum-catalysed ammonia production with samarium diiodide and alcohols or water. Nature 568, 536–540 (2019)
  7. Ashida Y, et al. Catalytic production of ammonia from dinitrogen employing molybdenum complexes bearing N-heterocyclic carbene-based PCP-type pincer ligands. Nature Synthesis 2, 635–644 (2023)
  8. 京都工芸繊維大学:中村泰司助教らの研究グループは、次世代型アンモニア合成法の触媒機構を解明しました(2026年9月25日)
  9. 京都大学福井謙一記念研究センター:構成員(吉澤一成研究員)