最後の一球が中国側のコートを外れた瞬間、60年という時間が終わった。9月24日、愛知県豊田市のスカイホール豊田で行われた第20回アジア競技大会の卓球男子団体決勝。日本は中国をマッチカウント3―2で破り、1966年バンコク大会以来となる金メダルを獲得した。中国が1994年広島大会から積み重ねてきた8大会連続優勝、32年の王座もここで途切れた。[1][2]
日本の勝利を決めたのは19歳の松島輝空だった。第1試合で世界ランキング1位の王楚欽に2ゲームを先取しながら逆転負けした松島は、2―2で迎えた最終第5試合に再び登場。中国の温瑞博との19歳対決を3―1で制した。第4試合では張本智和が王楚欽を3―0で破り、日本を土壇場でつないだ。[1]
第1試合、松島が世界1位を追い詰める
日本のトップは松島輝空、中国は王楚欽。松島はバックハンドの速い展開と長短を使い分けるサービスで王のレシーブを揺さぶり、11―5、11―8と2ゲームを先取した。[2]
しかし王は崩れない。第3ゲームからフォアハンドの回り込みを増やし、11―9、11―9で追いつく。最終ゲームも11―9。松島は勝利まであと数点に迫りながら、2―3で逆転された。OCAの試合報告で松島は、2―0とした後に「少し気が緩んだ」と振り返っている。[1]
張本智和が2勝、日本の軸になる
0―1で迎えた第2試合は張本智和と温瑞博。張本は台上で先手を取り、強打を打たせる前に短いボールとフリックで主導権を握り3―1で勝利した。OCAとテレビ東京の公開記事ではゲームごとの得点表記に差があるため、Japan.co.jpは一致しているマッチ結果を採用した。[1][2]
第3試合では戸上隼輔が林詩棟に1―3で敗れ、中国が2―1と王手。第4試合は張本対王楚欽となった。[1]
ここで張本は受け身にならなかった。チキータとバックハンドで早い打点を取り、前陣で王の強打を跳ね返す。11―7、11―4、11―9。OCAによると試合時間はわずか22分だった。王自身も試合後、「心理的に問題が出た」とし、処理できなかったボールが多かったと認めた。[1]
最後は19歳対決、松島がやり直す
2―2。金メダルは松島と温瑞博の第5試合に委ねられた。松島は第1ゲームを11―7で取り、第2ゲームを落としたが、第3ゲームを11―6で取り返した。第4ゲームではサービスで温のレシーブを崩し、両ハンドで先に攻め、11―8で締めた。3―1。日本の金が決まった。[1][2]
松島はOCAに対し、中国が築いてきた「壁」は大きかったと述べ、地元でそれを越えたことが自信になると話した。結果を一度の勝利だけで恒久的な力関係の逆転とみるのは早い。中国は依然として世界選手権、WTTツアー、個人世界ランキングで最上位の選手層を持つ。重要なのは、日本がその中国を団体戦の決勝で倒せることを結果で示した点にある。[1]
60年の空白と、32年の中国連覇は別の記録
日本男子がアジア大会団体で最後に優勝したのは1966年バンコク大会。そこから今回まで60年。一方、中国の連覇が始まったのは1994年広島大会で、2023年杭州大会まで8大会連続で金メダルを獲得していた。「日本の60年ぶり」と「中国の32年ぶりの陥落」は、異なる歴史を指す。[1][3]
テレビ東京は、中国がアジア大会に参加した1974年以来、男女を通じて日本が団体戦で中国を破って優勝するのは初めてだと報じた。[2]
「卓球ニッポン」は、かつて世界を支配した
日本卓球協会によると、競技は1902年ごろに日本へ伝わったとされ、1949年に国際卓球連盟へ再加盟。1952年、ボンベイで初めて世界選手権に参加すると、7種目中4種目を制した。[4]
厚いスポンジラバーを使った佐藤博治の1952年男子シングルス優勝は競技技術そのものを変える出来事だった。1954年には荻村伊智朗が男子シングルスを制し、日本は1950年代から60年代に世界の主要タイトルを次々に獲得した。ITTFの記録では、日本男子は世界選手権のスウェースリング杯を1954、55、56、57、59、67、69年の7度獲得している。[5][6]
中国の台頭で勢力図は変わった。日本卓球協会の沿革は、1971年名古屋世界選手権で中国が本格復帰し、以後、日本は低迷期へ、中国は世界最強国へ向かったと記している。[4]
4カ月前、ロンドンでは中国に0―3
5月10日、ロンドンの世界卓球選手権男子団体決勝で、日本は中国に0―3で敗れた。張本は梁靖崑に2―3、松島は王楚欽に1―3、戸上は林詩棟に1―3。中国は男子団体12連覇、通算24度目の世界タイトルを獲得した。[8][9]
つまり9月の勝利は、過去の中国を倒したものではない。わずか4カ月前に世界選手権決勝で完敗した相手との再戦だった。王楚欽と林詩棟は両方の決勝に出場し、中国側の3人目だけが梁靖崑から温瑞博へ変わった。
決勝まで全4試合3―0
日本は決勝までの4試合をすべて3―0で勝ち、44年ぶりに男子団体決勝へ進んだ。今回の男子代表は宇田幸矢、松島輝空、張本智和、戸上隼輔、篠塚大登の5人で、男子監督は岸川聖也。決勝だけが突然の好試合だったわけではなく、大会を通してチーム状態が高かった。[2][7]
- 第1試合:松島輝空 2―3 王楚欽
- 第2試合:張本智和 3―1 温瑞博
- 第3試合:戸上隼輔 1―3 林詩棟
- 第4試合:張本智和 3―0 王楚欽
- 第5試合:松島輝空 3―1 温瑞博
中国も、日本も世代交代の途中にある
中国は王楚欽、林詩棟、温瑞博らを軸にし、馬龍や樊振東の時代から次の構成へ移っている。OCAは、王以外の中国選手にとって今回が初のアジア大会だったと報じている。[1]
日本も若い。松島は19歳、張本は23歳、戸上は25歳。今回の勝利は、ベテランが最後の機会に一度だけ中国を破ったという構図ではない。今後数年の世界選手権、アジア選手権、WTT大会、五輪周期で再び顔を合わせる世代同士の対戦である。
一勝で力関係は決まらない。だが一勝で心理は変わる
張本は試合後、日本が中国を倒したことについて、自分たちにはそれまで自信が足りなかったことの証明だと語った。「実際の試合を見れば、特別なことをしたわけではない」という趣旨の発言もしている。[10]
中国を倒すには奇跡だけが必要なのではなく、普段通りのサービス、レシーブ、前陣の速さ、ラリーの質を5試合の中で積み上げればいい。その経験を持つこと自体が、次の対戦の前提を変える。
一方で「もう日本の方が常に強い」と決めつけるのも危険だ。中国は5月の世界選手権で男子団体24度目の世界タイトルを獲得している。今回の結果が示したのは王朝の終焉ではなく、タイトル戦でも日本に現実的な勝ち筋があるということだ。[9]
次に問われるのは「一度勝った」から「何度も勝てる」へ
大会史に残る金メダルは、これで消えない。日本男子が1966年以来60年ぶりにアジア大会の団体王者になり、中国の8連覇を止めた事実も変わらない。
しかし競技力の本当の変化は再現性で測られる。世界選手権、五輪、WTTの主要大会で中国のトップ選手を繰り返し倒せるか。張本が2点を取れない日にも、松島、戸上、宇田、篠塚が点を取れるか。若手が伸び、層が厚くなるか。
1950年代、日本は新しいラケット技術と練習法で世界の卓球を変えた。その後、中国が長く世界の基準となった。2026年9月24日の豊田で、日本がその中国を3―2で破ったことは、過去の黄金時代が戻ったという宣言ではない。
もっと現実的で、だからこそ重要な意味を持つ。中国は倒せない相手ではない――そのことを、日本男子がアジア大会の決勝という最も重い舞台で、自分たち自身に証明した試合だった。
出典
- アジア・オリンピック評議会(OCA):日本男子、60年ぶりのアジア大会団体金(2026年9月24日)
- テレビ東京 卓球NEWS:日本男子 中国を破って60年ぶり悲願の金メダル獲得(2026年9月24日)
- アジア・オリンピック評議会:広島1994アジア競技大会資料
- 日本卓球協会:沿革・組織図
- 国際卓球連盟(ITTF):History of Table Tennis
- ITTF:The World Championships Trophies – A Retrospective
- 日本卓球協会:第20回アジア競技大会 卓球競技
- 卓球レポート:世界卓球2026ロンドン 男子団体決勝
- ITTF:China claims record 24th men’s world team title at London 2026
- AFP-Jiji / The Japan Times:Harimoto hails new era as Japan dethrone table tennis kings China

