声に出さない言葉を、どう伝えるか
声を出せなくても、伝えたいことがある。言葉を頭の中で思い浮かべる「内声(ないせい)」を、脳の電気的な活動から捉え、音声として表せないか。そんな難題に取り組む熊本と福岡の大学共同研究が、2026年9月の学会で奨励賞を受けた。
崇城大学(熊本市)が10月9日に公表したところによると、受賞した発表は「内声時の脳波を用いた日本語Brain-to-Voiceシステム」。崇城大学情報学部情報学科の尾島・植村研究室と九州工業大学の夏目研究室による共同研究で、第25回情報科学技術フォーラム(FIT2026、9月2~4日)で評価された。
これは「頭の中の会話を自由に読み取れる機械」が完成したというニュースではない。大学の公表文には、復元できた言葉の数、識別精度、対象者数、連続した日本語の生成能力、臨床試験の有無は記載されていない。研究の目標と、外部から確認できる実証範囲を区別して読む必要がある。
木村さんの発表を支えた二つの大学
学会でポスター発表したのは木村さん。崇城大学の発表によると、2026年3月に同大情報学部情報学科を卒業し、現在は九州工業大学大学院の修士課程1年として夏目研究室に所属する。公表資料は名字だけを記し、フルネームは確認できない。
研究に参画した教員は崇城大学の尾島修一教授、植村匠教授、九州工業大学の夏目季代久教授。AIの学習には崇城大学IoT・AIセンターの計算機資源も活用された。大学間の移動と共同指導が、若い研究者の研究を継続させた点も注目したい。
FIT奨励賞は情報科学技術の学会発表に対する評価であり、医療機器としての承認や患者での有効性を示す称号ではない。発表論文はFIT2026講演論文集に掲載されたと大学は説明しているが、その全文や実験の詳細数値を本稿では独立に確認できていない。
脳波計は何を測り、何を測れないか
脳波(EEG)は頭皮上の電極から脳活動に由来する電位変化を記録する。手術を要しない点は大きな利点だが、頭蓋骨などを通って届く微弱な信号は、まばたき、筋肉の動き、周囲の電気的ノイズなどの影響を受ける。
音声を出すときには発声器官の運動を伴うが、内声では外から観測できる音がない。研究者が正解として与えるのは、参加者に何を思い浮かべてもらったかという課題の指示であり、その瞬間に脳内で何が起きたかを直接確認することは難しい。
そのため「二つの決められた音節を区別する」「少数の単語を分類する」「自由な文章を合成する」は、全く異なる技術的到達点だ。音声が再生されたとしても、指定された語から選択したのか、連続した発話を生成したのかを確認しなければならない。
2025年の国際研究が示した地道な進歩
2025年に学術誌Communications Biologyに掲載された研究では、健康な参加者15人に5日間、頭の中で音節を思い浮かべながらEEGによる二択型のブレーン・コンピューター・インターフェースを操作してもらった。学習とフィードバックを重ねることで、全体として操作成績の改善が観察された。
重要なのは、AIだけが学習するのではないという点だ。装置を使う人も、自分の脳活動を機械が識別しやすい形に調整していく可能性がある。実用的なコミュニケーション装置では、その人ごとの訓練と機械側の調整が負担になり過ぎないかが問われる。
同研究は自由な日本語会話を再現したものではない。崇城大・九工大の成果との間に共同実験関係が確認されたわけでもなく、別の研究として比較している。
「話そうとする脳」と「心の中で話す脳」は同じではない
音声を失った人への支援では、脳に電極を埋め込み、発話を試みた際の神経活動を読み取る研究が世界で進んできた。2025年にNatureに報告された研究では、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性が発話を試みた際の活動から音声を合成する仕組みが示された。
ただし、埋め込み型の装置と頭皮脳波の装置では得られる情報の細かさが違う。また、声を出そうとする「発話企図」と、声を出そうとせず内面で言葉を思う「内声」は同一ではない。海外の高性能な埋め込み型装置の結果を、そのまま今回の非侵襲型研究の達成値として紹介するのは誤りだ。
2024年のNature Reviews Neuroscience総説も、この区別と評価指標の標準化を強調している。将来の技術を見極めるには、装置が何の信号を使い、どんな課題に成功したのかを丁寧に説明する必要がある。
日本語という課題の難しさ
今回の研究題目があえて「日本語」と記している点には意味がある。日本語の音声は、母音と子音の組み合わせ、拍(モーラ)、長音、促音、アクセントなど、多層的な特徴を持つ。文字への変換には漢字と仮名の選択もある。
脳波からまず音節や語を識別し、それを音声に結び付ける場合、どの単位を対象にするかで難度と評価方法は変わる。日本語での技術開発を、英語の研究成果を単に置き換えれば済むと考えることはできない。
もっとも、今回の実験でどの日本語単位が扱われたか、発話音声がどのように出力されたかは大学の発表だけでは確認できない。このため、本稿ではモーラごとの高精度な読み取りなどを成果として断定しない。
患者の生活に届くまでの距離
声を失う原因は一つではない。ALS、脳卒中、外傷などで残る能力や支援の必要性は異なる。電極を埋め込まないEEG方式が扱いやすくなれば、侵襲的な装置を望まない人に選択肢が広がる可能性はある。
しかし、病室や家庭で使う装置には長時間の安定性、装着しやすさ、疲労の少なさ、誤認識の訂正、プライバシー保護、個人差への対応が必要だ。二択を当てる実験の正答率だけで、日常会話が成立すると判断することはできない。
支援技術では、使う本人が意思を伝えられることが目的である。装置が推測した内容を本人の明示的な承認なしに読み上げるなら、誤伝達そのものが重大な問題となる。
「読心術」という言葉が隠してしまう倫理
内声を扱う研究には興味と同時に不安も生まれる。しかし、現在公表されている研究から、他人の任意の思考を遠くから読み取れると考える根拠はない。EEGは電極装着、測定条件、課題設定と信号解析を必要とする。
将来のシステムでも、脳波データをだれが保管し、利用者がどの段階で音声化を許可するか、誤った推測をどう訂正するかは重大な設計問題だ。本人の意思を補助する技術と、本人の内面を監視する仕組みを混同してはならない。
脳に関係するデータは極めて個人的な情報を含み得る。研究段階から同意、削除、第三者提供の制限、利用目的の明確化を考える必要がある。
次に確かめたい五つの数字
次の報道で知りたいのは、参加者数、用いた日本語の語彙や音節の数、事前に定めた試験データでの識別精度、実時間での処理速度、そして初めて装置を使う人への適用成績だ。誤って出力された内容をどう訂正したかも重要である。
公表された講演論文を入手し、研究者から具体的な説明を得られれば、賞のニュースをさらに深められる。現時点では未確認の性能数値を補わず、実用化時期も示さない。
声を失った人が自分の言葉を取り戻す未来は、十分に追いかける価値がある。その希望を大切にするためにこそ、成果を大きく見せるのではなく、静かな実験の一歩を正確に記録したい。
出典・参考資料
- 崇城大学「尾島・植村研究室の共同研究がFIT2026奨励賞を受賞」2026年10月9日
- 情報処理学会 第25回情報科学技術フォーラム FIT2026
- Silva et al., The speech neuroprosthesis, Nature Reviews Neuroscience (2024)
- Bhadra et al., imagined-speech EEG training, Communications Biology (2025)
- Wairagkar et al., An instantaneous voice-synthesis neuroprosthesis, Nature (2025)
- Speech imagery brain-computer interfaces: systematic literature review, PubMed (2025)
- Sensing technologies for silent speech interfaces, Nature Sensors (2026)
- Speech Imagery Decoding Using EEG Signals and Deep Learning: A Survey, IEEE
資料確認:2026年10月10日。学会発表は2026年9月、大学発表は10月9日。参加者数・精度・語彙数・医療機器実証は大学発表で確認できない。
