3.5%最も厳しい評価条件の達成率
0.9%比較した従来モデルの達成率
約3.9倍同一条件での達成率の比
2026年10月15日論文の公開日

原子をどう並べるか。それだけでは足りない。東京大学の研究チームは、電子の状態にも目を向けて、材料を設計するAIの弱点に挑んだ。

「欲しい性質」から結晶を逆算する

半導体に適したエネルギー特性を持つ結晶は作れるか。電池の性能を左右する電子の状態を、設計の出発点にできないか。新材料開発では、元素の組み合わせを試し、計算し、実験を重ねることに膨大な時間を費やしてきた。近年は生成AIが結晶の原子配置そのものを提案するようになったが、狙った性質を指定すると、生成物の安定性や化学的な妥当性が損なわれるという難題があった。

東京大学と科学技術振興機構(JST)が10月15日に発表した研究は、その課題に正面から取り組む。東京大学大学院工学系研究科マテリアル工学専攻の奥田伊武来大学院生、高原泉大学院生、同大学生産技術研究所の溝口照康教授らの研究グループが、結晶構造と局所電子情報を一体で生成する「MatterGen-e−(マタージェン・イーマイナス)」を開発した。研究成果は学術誌『npj Computational Materials』に掲載された。

今回の「成功」は、工場で材料が量産されたことでも、実験室で新しい電池が完成したことでもない。計算機上で設定した条件を満たす新規結晶候補を、既存モデルより高い割合で生み出したという意味である。この境界を守ることが、新技術の価値を正確に伝える第一歩になる。

0.9%から3.5%へ――数字の意味

研究チームが比較した評価条件のうち、とくに厳しかったのは「バンドギャップ」と「生成エネルギー」を同時に目標として指定するものだ。既存のMatterGenでは条件を満たす新物質候補の割合が0.9%だったのに対し、新モデルでは3.5%。単純に割れば約3.9倍で、発表資料が「最大約4倍」と表現する根拠になっている。

ただし、この数値はすべての材料分野での成功率でも、発見から製品化までの確率でもない。研究で定義された条件と評価手順における比較であり、絶対値としては100候補に数個程度にすぎない。改善は大きい一方、求められる性能を備えた有望候補を高い確率で生み出せるようになったとまではいえない。

論文では新規性、熱力学的安定性、化学的妥当性などの指標についても改善が報告された。狙う性質を満たすために、物理的に無理のある構造へ偏ってしまう欠点を抑えられるかが焦点だった。

電子の情報は何を教えるのか

結晶の物性を左右するのは、原子の種類と位置だけではない。原子の周辺に電子がどのように分布し、どのエネルギー帯に状態があるかも、電気を通しやすいか、化学反応を促すかといった性質と関わる。今回のモデルは「Bader電荷」と「原子分解電子状態密度(原子分解DOS)」という2種類の記述子を、原子配置と同時に扱う。

Bader電荷は電子密度を原子ごとの領域に分けて評価することで、原子周辺の電荷の偏りを表すための量だ。原子分解DOSは、どのエネルギーにどれだけ電子状態が存在するかを原子別に示す。いずれも電子を直接撮影した画像ではない。量子力学に基づく計算から得られる情報を、モデルが利用しやすい形に整理したものと考えるとよい。

これらを結晶と同時に生成することで、モデルは「この原子配列には、こうした局所的な電子状態が伴う」という関係を学習できる。出力された電子情報は、候補を詳細な第一原理計算にかける前の選別にも利用できる可能性がある。

追加の変数が増えただけではない

AIの性能改善は、モデルを複雑にしたことによる偶然かもしれない。そこで研究チームは、電子情報をノイズや物理的意味のない変数に置き換える対照実験を実施した。実際のBader電荷や原子分解DOSを与えた場合に比べ、同様の改善は認められなかったという。

この検証が示唆するのは、単に入力や出力の項目を増やせばよいのではなく、材料科学に根ざした「意味のある表現」を組み込むことが重要だという点だ。生成AIの進歩を、計算規模の競争だけでなく、物理化学の知識をどう表現するかという設計の問題として捉え直す研究でもある。

試行錯誤から「逆設計」へ

従来の材料開発は、化学的な知識から候補を選び、合成して性質を測るか、大規模な計算で安定な物質を探索する方法が中心だった。計算科学の発達によって未知の結晶を先に予測する試みが広がり、機械学習は膨大な候補をより速く扱う手段になった。

「逆設計(インバースデザイン)」では、まず必要な性質を指定して、そこへ到達し得る原子配列を逆算する。たとえば半導体なら、電子が占める状態と占めない状態のエネルギー差に関係するバンドギャップが重要になる。もっとも、指定した数値に合うだけでは不足で、結晶が安定し、合成でき、使用環境で劣化しにくいことも求められる。

2025年にMicrosoft Researchが発表したMatterGenは、結晶生成向けの拡散モデルとして注目された。今回の東大グループはそれを出発点に、局所電子情報を新たな生成対象へ加えた。先行技術を置き換えるというより、その設計上の弱点を一段掘り下げた改良と位置づけられる。

「バンドギャップ」が産業とつながる理由

バンドギャップは、電子がエネルギーを受けて移動しやすいかどうかを左右する基本的な物性で、半導体、光学材料、電子デバイスなどの設計と関係する。局所電子状態は触媒の反応性や電池材料のふるまいを理解するうえでも重要だ。

だからといって、今回の論文が新型半導体の性能を実証したわけではない。電池の寿命や充電速度を延ばしたわけでもない。発表が示すのは、そうした産業分野で候補を探す際に役立ち得る計算手法の改善である。材料が実用に至るには、合成経路、原料価格、製造の歩留まり、安全性、長期の性能評価など別の壁がある。

学習データと評価方法に残る問い

論文によれば、学習用データはMaterials Project由来のMP-20から、電子密度と電子状態密度の双方が入手できる結晶を選んで構築した。訓練用1万9571件、検証用4910件、試験用6112件に分割したと説明されている。対象の偏りはモデルの汎用性に影響し得るため、データに少ない元素の組み合わせや、複雑な界面・欠陥でも同じ改善が見られるかは今後の論点だ。

研究者は、原子ごとに電子情報を定義できるため、結晶内部だけでなく表面や界面にも応用する方向性を示している。ただし、それらの領域について同水準の性能が実証済みと読むべきではない。生成候補の計算評価と実験室での合成成功率を混同しない姿勢が必要だ。

日本の材料研究にとっての意味

日本には半導体材料、機能性セラミックス、電池、触媒など幅広い基礎研究と産業集積がある。そこへ研究室のAIが加わるとき、重要なのは候補を大量に生み出すことだけではない。研究者が生成理由を検討し、実験で確かめ、次の候補を改善する循環を築けるかどうかだ。

今回のモデルは研究論文とともにコード公開先も記載している。ただし公開状況や再現性、外部研究者による追試の結果は、論文公開直後の現時点では別途検証を要する。AIが結晶の「答え」を保証する時代が到来したのではない。意味のある物理量を手がかりに、無数の候補から次に調べる価値のあるものを選ぶ技術が進歩したのである。

「何を作れたか」ではなく、「次に何を試すべきか」を賢く決める。その変化こそ、新材料開発における生成AIの現実的な可能性だ。

電子を学ぶAIの、その先へ

結晶は静かな物体に見える。しかし、その内部には電子の分布とエネルギーが織りなす複雑な世界がある。人間の研究者は長く、その見えない世界を理解しようとしてきた。AIに原子の並びだけでなく電子の手がかりを与えるという今回の研究は、材料を設計する方法に新しい選択肢を示した。

成功率3.5%は、研究の終着点ではない。物理的に説明できる情報を組み込み、適切な検証を重ねることで、候補探索の精度をどこまで上げられるか。次の問いが、すでに始まっている。

出典・参考資料

  1. 科学技術振興機構・東京大学 2026年10月15日共同発表
  2. 東京大学生産技術研究所 研究発表(英語)
  3. 奥田・高原・溝口 論文(npj Computational Materials、2026年10月15日)
  4. MatterGen-e− 研究コード公開先(論文記載)
  5. Microsoft Research MatterGen 論文