¹⁷O安定同位体の酸素17
MRI専用コイルで水の目印を検出
10.14共同発表の日付
10.17学会発表の予定日

点眼した「水の行方」を、ヒトの脳の近くまで追う

目薬をさす。目の表面を潤す、ごく日常的な行為だ。だが、そこに含まれる水の分子は、その後どこへ向かうのか。眼球の中だけでなく、視神経の周囲から脳につながる領域へ移る水の経路は、病気の仕組みを考えるうえで重要でありながら、人間で直接追跡することが難しかった。

量子科学技術研究開発機構(QST)と北海道大学は10月14日、安定同位体の酸素17を含む水を点眼し、特殊な磁気共鳴画像法(MRI)で眼窩から頭蓋底、脳に相当する領域まで信号の変化を捉えたと発表した。成果は10月17日の第54回日本磁気共鳴医学会大会で発表される予定だ。発表時点で査読済み原著論文が公開されたと確認されたわけではない。

研究の中心は「酸素17」という目印

通常のMRIは、体に豊富に存在する水素原子の信号を利用する。臓器の構造を把握するには有用だが、もともと存在している水と、後から入った水とを区別して追跡するのは容易ではない。

そこで研究チームは、酸素の安定同位体である酸素17(¹⁷O)を含む水、H₂¹⁷Oを選んだ。自然界にごく少量しかない¹⁷OはMRIで検出可能な核磁気的性質を持つ。放射性の目印ではなく、今回の方法はトレーサーに由来する放射線被ばくを伴わない。ただし、MRI検査そのものの適応や安全性評価が不要になるわけではない。

眼から脳へ「一本の管」を見つけたのではない

研究チームは¹⁷O専用の送受信コイルを開発し、信号の取り方を工夫した。被検者にH₂¹⁷Oを継続的に点眼しながら撮像すると、眼窩から頭蓋底、さらに頭蓋内の脳と位置が重なる領域まで、¹⁷O由来のMRI信号変化が現れた。研究機関は、ヒトで眼から頭蓋内に広がる水を追跡した初めての成果と位置づける。

ただし、画像上の信号変化は、水がどの組織の微細な経路を、どの速度で、どちら向きに移動したかをすべて決定するものではない。眼と脳を直結する単一の管が確定したと描くのは誤りだ。水の分布を見えるようにする手段を得たことと、生理的な輸送機構を解明し終えたことは分けて考える必要がある。

誰が開発したのか

QST量子医科学研究所の宮田真里主任研究員、小畠隆行シニアスタッフらと、北海道大学大学院医学研究院の工藤與亮教授、亀田浩之講師らが共同研究を進めた。二つの機関が10月14日に連名で発表している。今回の研究は、眼科だけでも、脳科学だけでも完結しない。核磁気共鳴の装置開発、放射線診断学、水の生理学を組み合わせた成果だ。

支援元として、日本医療研究開発機構(AMED)の研究事業などが挙げられている。QSTの発表は、シーメンスヘルスケア株式会社の協力を得たこと、多核種に対応するMRI装置を使ったことも明らかにしている。

緑内障との接点は「眼圧」だけではない

緑内障は視神経に障害が生じ、視野が失われる病気だ。眼圧は重要な危険因子だが、日本では眼圧が統計上の正常範囲にある「正常眼圧緑内障」も大きな課題となる。眼内の房水の流れに加え、視神経周囲の水や老廃物の動きを評価できれば、現在とは異なる角度から病態を調べられるかもしれない。

しかし、今回の報告は緑内障の診断精度を測った臨床試験ではない。症状の進行を予測できるとか、新しい目薬で緑内障が治るという証拠でもない。将来への期待は、これから検証する研究課題として扱うべきだ。

脳の排水はどのように理解されてきたか

脳内の液体の流れと老廃物排出をめぐっては、2010年代以降「グリンパティックシステム」という仮説的枠組みが広く知られるようになった。グリア細胞に関連する水の移動を、リンパ系になぞらえて説明する名称だ。アクアポリン4(AQP4)という水チャネルを含め、睡眠や脳脊髄液の動態との関係をめぐる研究が続く。

一方、実際にどの流路がどの程度寄与するか、人間でどこまで一般化できるかは議論が続いている。QSTの発表も複数の仮説が存在することを認め、より広い「ニューロフルイド」という概念を紹介している。今回の画像技術は、仮説を検証するための観察手段になり得るが、それ自体で一つの理論を証明するものではない。

突然現れた技術ではない――北大の研究の蓄積

北海道大学の工藤教授らは、今回に先立って酸素17標識水を使う画像診断技術に取り組んできた。2022年には、酸素17で標識した水を用いて脳内の水動態を評価するMRI法について、第1相の安全性・実施可能性試験が学術誌に報告された。そこでは眼への点眼による経路ではなく、異なる投与・計測の文脈で、水を追跡する技術が検証されている。

2021年に公開された北海道大学の研究紹介でも、通常のMRIでは難しかった脳内の水の動きを直接調べるという目標が語られていた。今回の新しさは、蓄積した酸素17画像技術を、眼から脳方向へ移動する水の研究に応用した点にある。

認知症、頭部外傷、宇宙飛行士まで広がる問い

脳内で水や代謝物がどのように循環するのかは、認知症に関連する異常タンパク質の蓄積、頭部外傷、睡眠などとも関係する可能性が研究されている。また長期宇宙滞在中に生じる眼球の形態変化や視機能への影響を考える上でも、体液分布は大きな問題となる。

ただし今回の実験により、認知症の原因が証明されたわけでも、宇宙飛行士の視力障害が説明されたわけでもない。応用領域が広いほど、病気ごとに比較対象、測定の再現性、臨床的な有用性を厳密に確かめる必要がある。

「目薬で脳へ薬を届ける」は、まだ未来の話

点眼した水の目印が脳に相当する領域で観察されたことから、眼を入り口とする薬剤送達への期待も示されている。飲み薬や注射とは違う、侵襲の少ない投与経路が確立すれば、医療にとって魅力的だ。

しかし、標識水が検出されたことと、薬の分子が適切な濃度で脳の目的部位に届き、安全かつ有効に働くことの間には、多くの壁がある。分子の大きさ、代謝、毒性、血液・脳・眼の障壁などを評価しなければならない。現時点で点眼による脳疾患治療を実証したとは言えない。

この先、何を検証すべきか

公表資料だけでは、被検者数、年齢構成、対照条件、解析誤差や時間分解能など、臨床的な評価に必要な数値を十分に確認できない。10月17日の学会発表で詳しい方法が示されるか、査読済み論文が公表されるかを追う必要がある。

測定された信号が眼からの移動に由来することを異なる条件で確認し、どの輸送経路を反映するのかを明らかにすることも課題だ。眼や脳の疾患を持つ人と健康な人を比較する場合には、安全性と再現性の検証が欠かせない。

「見えない流れ」を観察するための道具

重要なのは、眼と脳の水の流れについて大きな理論が完成したことではない。これまでヒトでは確かめにくかった問いに、直接測定する技術で近づいたことだ。

点眼という身近な行為と、高度な核磁気共鳴の計測技術。その意外な組み合わせは、眼科と神経科学の間にある未解明の領域へ新しい窓を開く。次に必要なのは、美しい画像ではなく、信号が意味する生理と病態を積み重ねて検証する地道な研究である。

出典・参考資料

  1. QST・北海道大学 共同プレスリリース(2026年10月14日)
  2. 北海道大学 研究発表一覧(2026年10月14日)
  3. 北海道大学・工藤研究室の研究紹介
  4. 酸素17標識水の第1相試験(2022年)
  5. 北海道大学・脳内水動態研究の解説
  6. 北海道大学 画像診断学教室・脳神経研究

2026年10月14日の共同発表を基に執筆。10月17日に学会発表予定で、今回の眼・脳経路を扱う査読論文の公開は確認できていません。