電子を効率よく運ぶ有機材料には、分子の形がものをいう。平面状の分子が多いなか、球状のフラーレンは固体中に立体的な電子輸送経路をつくりやすい。一方で、合成コストや構造を変えにくい点が課題とされてきた。そこで研究チームが選んだのは、フラーレンをまねることではなく、8の字型分子の骨格を切り開く方法だった。

名古屋大学大学院工学研究科の福井識人(ふくい・のりひと)准教授らは、京都大学化学研究所の若宮淳志(わかみや・あつし)教授、中村智也(なかむら・ともや)准教授、梶弘典(かじ・ひろのり)教授、京都大学大学院工学研究科の浦谷浩輝(うらたに・ひろき)助教、東京都立大学大学院都市環境科学研究科の石割文崇(いしわり・ふみたか)准教授らと共同で、新しいn型有機半導体を開発した。大阪大学の研究者も論文に参加している。

材料の出発点は、研究グループが先に開発した8の字型π共役分子CBBCである。骨格の周辺へ電子を受け取りやすい官能基を導入し、二つの直線状部分がねじれながら立体交差する「化合物1」を得た。発表資料は、この形を「キラルX形」と表現している。

「低コスト化」の読み方: 研究チームは、高価な出発原料を使わず、臭素化CBBCから3工程で合成できる点を利点としている。ただし、製造原価の試算、量産設備での歩留まり、市販材料との価格比較は公表していない。現段階で確認されたのは合成経路の簡便さであり、製品価格の低さではない。
20.6%化合物1を用いた実験用太陽電池の最高光電変換効率
21.2%比較対象のフラーレン誘導体PCBMを用いた素子の効率
約80%片方の光学異性体だけでつくった薄膜のスピン選択率

なぜ「8の字」を開くのか

有機エレクトロニクスで主流の電子輸送材料には、フラーレンとその誘導体がある。球状の骨格は固体中に等方的な電子輸送経路をつくりやすいが、大学側は、合成コストが高く、誘導体の設計にも制約があると説明する。非フラーレン系材料の開発は進んでいるものの、候補の多くは平面状で、電子受容性と合成しやすさを備えた非平面骨格は限られていた。

CBBCは、市販のπ共役分子ジベンゾクリセンの内部結合を酸化的に開裂してつくる。8の字状にねじれ、共役系内にカルボニル基を持つため電子受容性が高い。研究グループは、簡便で比較的大きなスケールの合成と、高いエナンチオ選択性をすでに報告していた。

今回は臭素化CBBCを出発原料とし、3工程で化合物1を合成した。構造展開の可能性を確かめるため、別の官能基を持つ類縁体も2種類つくった。化合物1では、電子受容性を持つ二本の直線状部分が立体的に交差する。平面分子を積み重ねる発想とは異なり、一分子の中へ三次元性を組み込んだ。

フラーレンの球形を再現するのではなく、化学修飾しやすい骨格の中に立体的な電子の通り道をつくる。それが今回の分子設計の要点だ。

薄膜から太陽電池素子へ

化合物1の最低空軌道(LUMO)準位は、真空準位に対して約マイナス4.6電子ボルトだった。LUMO準位が低いほど電子を受け取りやすい。加熱したテトラクロロエタンへ溶かし、スピンコートで薄膜をつくることもできた。

薄膜の電子移動度は、比較に用いた直線状の参照分子2の2倍近くとなった。研究チームは、X形骨格の内部で二つの直線状部分が有効に相互作用したためと解釈しており、理論計算もその説明を支持したとしている。ただし、分子集合と電子移動の因果を説明するモデルは、今後の材料比較でも検証が必要だ。

逆型ペロブスカイト太陽電池の電子輸送層へ化合物1を使うと、最高の光電変換効率は20.6%だった。同じ研究で、標準的なフラーレン誘導体PCBMを使った素子は21.2%。実験条件内では近い値だが、面積を広げたモジュール、長期耐久性、量産時の性能まで同等だと示した結果ではない。

もう一つの機能は「スピン選別」

キラルな分子には、右手と左手のように鏡写しでありながら重ならない二つの形がある。こうした物質を電子が通るとき、スピンの向きによって電流の流れやすさが変わる現象を、キラル誘起スピン選択性(CISS)という。

研究チームは、化合物1の片方の光学異性体だけからなる薄膜を作製した。強磁性電極の磁化方向を反転させたときの電流差から求めたスピン選択率は約80%。大学側は、従来のキラル電子輸送材料と比べても高い水準だと評価している。

太陽電池で確かめたのは電荷を運ぶ機能、別の測定で確かめたのはスピンを選ぶ機能である。二つの結果を一つの実用デバイスで同時に実証したわけではない。省電力半導体や大容量メモリーへの応用は、研究チームが示す将来像として読む必要がある。

主要機関名古屋大学、京都大学、東京都立大学、大阪大学
材料CBBCから合成したキラルX形の非フラーレン系n型有機半導体「化合物1」
合成臭素化CBBCから3工程。類縁体2種類も合成
電子移動度研究内の直線状参照分子と比べて2倍近く
太陽電池効率化合物1で20.6%、比較用PCBMで21.2%
スピン選択率片方の光学異性体からなる薄膜で約80%
掲載誌Angewandte Chemie International Edition
DOI10.1002/anie.9296585

有望な骨格、量産材料とはまだ言えない

今回の成果は、CBBCが非フラーレン系電子輸送材料の基本骨格になり得ることを、合成、薄膜、太陽電池素子、スピン測定の各段階で示した。構造を変えやすいことも材料探索には有利だ。ここまでは実験で裏づけられた成果である。

一方、低コスト化を実証するには、原料費だけでなく、反応収率、精製、溶媒回収、薄膜形成、設備、歩留まりまで含む比較が必要になる。公表資料には、太陽電池の運転寿命、大面積での均一性、モジュール効率、量産工程の収率は示されていない。加熱したテトラクロロエタンを使う薄膜工程についても、安全性と環境負荷を含む工業プロセスの検討が別途必要だ。

研究段階の材料として見るなら、数字は明確だ。20.6%という太陽電池効率はPCBM比較素子へ迫り、約80%というスピン選択率は別用途への手掛かりを与えた。ここから先は、分子設計の巧みさを、耐久性、再現性、製造性へ移せるかが問われる。

次に必要な検証

  • 太陽電池素子の運転寿命と劣化機構
  • 大面積塗布、モジュール効率、量産歩留まり
  • フラーレン誘導体との定量的な製造原価比較
  • より安全で量産に適した溶媒と工程
  • スピン選択性を使う実動デバイスへの組み込み

8の字を開いてX形をつくるという発想は、見た目の面白さだけではない。立体的な電子輸送経路と、化学的に展開しやすい骨格を両立させようとする設計である。研究は、その設計が実験室の素子で機能するところまで示した。安価な次世代材料になるかどうかは、これからの工学的検証にかかっている。

取材注記と主要資料
  1. 科学技術振興機構「特異な非平面形状を有する電子輸送材料を開発」(共同発表、参加機関、主要結果、研究支援)
  2. 東京都立大学「特異な非平面形状を有する電子輸送材料を開発」(数値、合成法、研究者名・読み、用語解説)
  3. 京都大学化学研究所の研究発表(研究概要、専門用語、書誌情報)
  4. 名古屋大学「福井 識人」研究者情報(氏名・読み、役職、所属)
  5. Angewandte Chemie International Edition原論文(論文名、著者、DOI、英語)

本稿は2026年8月30日までに公開されたJST、名古屋大学、京都大学、東京都立大学の一次資料と論文情報を照合した。研究者の氏名、読み、役職、所属、専門用語は各大学の発表・公式研究者情報で確認した。低コスト化、性能水準、将来用途に関する評価は研究機関・著者の見解として扱い、市販化済みとは記していない。直接引用は使用していない。