1,259,9072025年国勢調査・確定人口
−74,9342020~2025年の人口減
−5.6%5年間の減少率
1873愛媛県発足年

人口125万9907人が突きつける問い

愛媛の歴史をたどると、海と山のあいだで人々が築いた交流の豊かさに行き着く。瀬戸内海の船路、伊予八藩の城下町、別子銅山の産業都市、柑橘の段々畑。ところが、その土地で暮らす人の数はいま、減り続けている。観光客が訪れる風景の背後では、誰が学校を支え、病院を守り、工場を動かすのかという切実な問いが大きくなっている。

総務省統計局が2026年9月29日に公表した2025年国勢調査の人口等基本集計によると、愛媛県の人口は2025年10月1日現在で125万9907人。2020年から7万4934人、5.6%減少した。男性59万9461人、女性66万446人である。5年間で県人口のおよそ18人に1人に相当する人数が減った計算になる。[1]

この数字は自治体の行政サービスだけでなく、企業の採用、交通網、住宅市場、農業の担い手、地域文化を維持する人の数を左右する。人口減少は愛媛の可能性が消えるという意味ではない。これまでの経済や暮らしの仕組みを、そのままの規模で維持することが難しくなるという意味だ。

古代伊予――海路が結んだ土地

県域は古代の伊予国にほぼ重なる。北には瀬戸内海、西南には宇和海、内陸には四国山地があり、地域ごとに異なる暮らしが育まれた。古代から中世にかけて海は障壁であると同時に移動と交易の道でもあった。島々と港をつなぐ海上交通が文化、人、物資の往来を支えた。

県名の「愛媛」は『古事記』に見える「愛比売」に由来する。だが古代から現在の愛媛県という行政単位が存在したわけではない。古代の伊予国、江戸時代の藩、近代の県を区別することは、この土地の多層的な歴史を理解する第一歩となる。[4][6]

河野氏などの勢力が活動した中世には、海上の結びつきと陸上の支配が複雑に交差した。瀬戸内海を現在の県境だけで理解することはできない。中国地方や九州との往来も含めた広い関係のなかで、伊予の社会は形づくられた。

伊予八藩が残した八つの視点

江戸時代の伊予には、松山、今治、西条、小松、大洲、新谷(にいや)、宇和島、吉田の八藩と幕府直轄地があった。城下町の役割、農村の生産、文化の蓄積は一様ではなく、現代の地域的な個性にもつながる。[4]

松山城の城下町は今日の県都の核となり、今治は港と海運の町として発展した。大洲や宇和島にも城下町の風景と独自の伝統が残る。宇和島藩では幕末に洋学が重視され、二宮敬作らの蘭学者が活動したほか、高野長英や村田蔵六(大村益次郎)も招かれ、軍事・技術の近代化が試みられた。[4]

四国遍路も伊予の文化を結ぶ長い回路である。県公式資料では伊予国に四国最多の26札所があるとされ、海岸部、山中、街なかを横断する道が人々の往来を支えてきた。観光の対象になった現在も、遍路は地域の宿泊、商店、交通、住民の協力と切り離せない。[4]

1873年、愛媛県の誕生

現在の県を、江戸時代の一つの「国」と単純に重ねることはできない。1871年の廃藩置県後、伊予の諸県は統合され、石鐵県と神山県となった。1873年2月20日に両県が合併して愛媛県が誕生した。県は2023年に150周年を記念している。[5]

その後、1876年には香川県域が愛媛県に編入され、1888年に再分離した。県境と行政組織が変わった歴史は、愛媛の人々が瀬戸内海の隣県と深く結びついていたことも思い起こさせる。[6]

明治以降の松山は文化都市としても知られるようになった。正岡子規による俳句革新、河東碧梧桐、高浜虚子らの活動は、松山の文化的な自己像を形づくった。夏目漱石の『坊っちゃん』とともに、その記憶はいまも街を歩く人々を引きつける。[4]

産業の地図――東予、中予、南予

現代の愛媛の産業を一つにまとめて語るのは難しい。県東部の東予(とうよ)には製紙、化学、機械、金属、造船、海運が集積する。中予(ちゅうよ)は松山市を中心に行政、サービス、商業、教育機関が集まる。南予(なんよ)は柑橘などの農業、漁業、養殖業と中小都市の暮らしが重要な基盤となっている。[7]

新居浜の別子銅山は、資源採掘が近代工業につながった典型だ。今治の造船・海運・タオル、四国中央の紙産業、西条の製造業と農業は、地域の働き方を形づくる。こうした企業は県外や世界の需要にも結びつき、人口が減る県であっても大きな産業上の存在感を持つ。

しかし受注が確保できても、働く人が足りなければ生産能力は制約される。熟練技術の継承、外国人を含む人材の定着、設備投資、事業承継は相互に関係する。人手不足を単純な雇用数ではなく、技術と生活基盤の問題として見る必要がある。

五つの都市、五つの異なる課題

県庁所在地の松山市(まつやまし)は、大学、医療、行政、サービス業が集中する一方、人口減少から免れてはいない。今治市(いまばりし)は海事産業と島しょ部を抱え、労働力の確保と交通の維持が重なる。新居浜市(にいはまし)では企業城下町の産業基盤を世代交代につなぐ必要がある。

西条市(さいじょうし)は製造業や農業の強みを持つが、企業の成長と子育て世代の定着を両立させる課題がある。宇和島市(うわじまし)は南予の生活・医療・交通の結節点であり、人口縮小が周辺地域のアクセスにも影響する。

県が2026年4月に公表した市町別人口は速報的な地方集計で、2026年9月29日の県全体の確定値とは集計段階が異なる。以下は地域差を見るための速報比較であり、確定した市町人口として扱うべきではない。[2][8]

主要5市の人口比較(2025年・県速報)

市速報人口2020年比
松山市497,041−2.77%
今治市141,735−6.55%
新居浜市108,640−6.29%
西条市98,665−5.85%
宇和島市62,715−11.43%

この表の市町別値は県の2026年4月地方集計による速報であり、9月の確定人口表から転記したものではない。[8]

縮む南予、踏みとどまる中予

県の2025年地方集計の地域別速報では、2020年からの減少率は東予6.43%、中予3.07%、南予10.84%だった。県全体の確定人口とは異なる速報集計だが、減少の速さに大きな地域差があることは明白だ。[8]

中予でも減少は続くものの、大学や医療機関、雇用が集まる地域は一定の求心力を保つ。対して南予の沿岸部、山間部では、病院や学校が遠くなれば、ますます若い世帯が住みにくくなるという悪循環が懸念される。県内の人口移動も、都市と周辺地域の機会の差を広げうる。

大切なのは「どの地域でも人口を増やす」という同一目標を押しつけないことだ。地域ごとに必要な医療、移動手段、教育、住宅、デジタル通信を見極め、人数が減っても暮らしの質を守る方策を探るべきだろう。

出生、死亡、移動を分けて考える

人口の変化は出生と死亡による自然増減、転入と転出による社会増減に分けられる。県の2026年9月1日現在の推計人口資料では、前月から1139人減少し、うち自然減が950人(出生529人、死亡1479人)、社会減が189人(転入2531人、転出2720人)だった。これは一か月の動きであり、年間の出生数や長期傾向と混同できない。[3]

ここには統計上の注意点もある。県の同月推計人口は124万3643人だが、その公表時点では2020年国勢調査を基礎に積み上げた数字だった。一方、2025年国勢調査の確定人口125万9907人は2025年10月1日の実査値であり、基準日も推計方法も違う。両者を差し引いて「その期間の人口減」と見なすことはできない。[1][3]

少子高齢化を論じる際には、出生数の落ち込みと、高齢世代が厚い人口構成のもとで死亡数が出生数を上回ることを分けて理解したい。外国人労働者の受け入れや移住促進は地域を支える可能性があるが、自然減をすぐに反転させると決めつけることもできない。

産業の未来を、暮らしの未来と切り離さない

地域企業は顧客を全国や海外に持つことができる。しかし従業員とその家族は、地元の住宅、保育、学校、病院、交通を必要とする。造船所が雇用を生んでも、働く人の生活を地域で支える仕組みがなければ、採用競争は難しくなる。

また、人口が減ると住宅や店舗の空きが増える可能性がある一方、すべての地域で住居が手に入りやすくなるとは限らない。利便性の高い場所と交通不便な場所では、住宅需要の動きも異なる。自治体は人口の総数だけでなく、居住地の分布を見なければならない。

瀬戸内の海路がかつて地域をつないだように、現代のネットワークは鉄道、路線バス、道路、フェリー、通信、医療連携でできている。問われるのは巨大な施設を新設することだけではない。既存のつながりを維持し、必要に応じて再設計する能力だ。

愛媛の次の章を書くのは誰か

愛媛の歴史は一つの中心がすべてを決めてきた歴史ではない。伊予八藩から東予・中予・南予の多彩な産業に至るまで、複数の地域がそれぞれの生き方を発展させてきた。

だからこそ人口減少への答えも一つではない。松山に必要なのは都市機能と若年層の機会を磨くこと、今治や新居浜には産業技術を引き継ぐ人材が、西条には製造業と暮らしの接点が、宇和島には広域の生活機能を支える仕組みが重要になる。これらは政策の選択肢であり、成果が出たと確定した事実ではない。

かつて海を越えて人や物が行き交った伊予は、外との関係の中で発展した。人口が減る時代にも、地域を閉じるのでなく、住む人、働く人、訪れる人が役割を分かち合える社会をどう築くか。愛媛の次の歴史は、そこから始まる。

出典・参考資料

  1. 愛媛県「令和7年国勢調査結果」(2026年9月29日)
  2. 愛媛県「令和7年国勢調査地方集計結果」(市町別・地域別の速報集計)
  3. 愛媛県「愛媛県推計人口」(2026年9月1日現在)
  4. 愛媛県「愛媛の歴史と文化」
  5. 愛媛県「県政発足150周年記念式典知事式辞」
  6. 愛媛県史・「えひめの記憶」
  7. 特許庁「愛媛県の産業特性と知財活用事例」
  8. 愛媛県「令和7年国勢調査地方集計結果」市町・地域別表(2026年4月・速報値)

取材・資料確認:2026年10月8日。県全体の125万9907人は2025年国勢調査の確定値。市町・地域別表は県の2026年4月速報、2026年9月推計値は2020年調査を基礎とする別の統計です。