金メダル男子ダブルス
銀メダル楠原選手・混合ダブルス
1989年伊予銀行テニス部創部
6–3、7–6決勝スコア

地方銀行のテニス部が、アジアの頂点に立った

名古屋市の東山公園テニスセンターで10月2日に行われたアジア競技大会の男子ダブルス決勝。愛媛県松山市を拠点とする伊予銀行の楠原悠介(くすはら・ゆうすけ)選手と中川舜祐(なかがわ・しゅんすけ)選手が、韓国ペアを破り金メダルを手にした。全国屈指の実業団チームが、企業スポーツを通じて積み上げてきた競技力を国際舞台で示した瞬間だった。[1][7]

勝利だけを追えば華やかなスポーツニュースで終わる。しかし愛媛にとっては、地方銀行が長年にわたり競技者を雇用し、練習環境を整え、地域のジュニア育成にも関わってきたことの意味を問う出来事でもある。

決勝は6-3、7-6。第2セットを取り切る

対戦相手は韓国の南智星(ナム・ジソン)、朴義星(パク・ウィソン)組。韓国の聯合ニュースによると、楠原・中川組は第1セットを6-3で先取し、第2セットはタイブレークを7-4で制して7-6。セットカウント2-0で優勝を決めた。[8]

ダブルスでは強いサーブだけでなく、相手の返球を予測した前衛の位置取り、互いの守備範囲の理解、劣勢時の意思疎通が問われる。とりわけ僅差の第2セットを取り切った事実は、勝負どころの集中力を示す。ただし個々の得点パターンや戦術の詳細を全試合データなしに断定することは避けたい。

楠原は混合ダブルスでも銀、二人合わせて金と銀

愛媛県は10月5日、楠原選手が男子ダブルスで金、混合ダブルスで銀を獲得し、中川選手が男子ダブルスで金を獲得したと公式発表した。JOCの記録も両選手のメダルを確認できる。[1][2][3]

二人の名前は全国的なスター選手ほど知られていないかもしれない。それでも国際大会の表彰台で重みを持つのは出身地の知名度ではなく、積み重ねた実力と試合の結果である。

二人は愛媛出身ではない。だからこそ所属先に意味がある

県の資料によると楠原選手は岡山県出身で1997年生まれ、中川選手は滋賀県出身で2000年生まれ。両選手とも伊予銀行所属だ。愛媛生まれの選手が金を取った、と紹介するのは正確ではない。[1][2][3]

この事実はむしろ地域スポーツの広がりを表している。愛媛の企業と練習環境が県外出身の競技者を引きつけ、その選手たちが松山を拠点に世界と戦う。地方から選手が流出するだけでなく、競技力が地方へ集まる道筋が見える。

平成元年の創部。四国初の実業団テニスチーム

伊予銀行の公式資料によれば、テニス部が創部されたのは1989年4月1日。同行の140周年史は、四国で初めての実業団テニスチームとして誕生したと記す。当時から銀行という勤務先と競技活動を結びつける体制があった。[4][6]

初期には日本リーグへの昇格と降格を経験し、2000年代には決勝トーナメント進出を果たした。長く続く活動は順風満帆の連続ではない。競技者の採用、指導者の確保、遠征と練習を支える組織的な決断が欠かせない。

日本リーグ3位からアジア大会の金へ

同行が公表する戦歴では、日本リーグで2014年度に3位、2024年度にも3位となった一方、2025年度は7位タイだった。[5] 毎年頂点に立つ絶対王者というより、強豪が競うリーグの中で長期的に存在感を保ってきたチームといえる。

国際大会の金メダルは日本リーグの団体順位とは異なる指標だ。実業団で培われる日々の競争と、二人一組で臨む代表大会の実績を混同せず、それぞれの重みを理解したい。

1980年代から続く企業スポーツ、その現在地

日本の実業団スポーツは、企業が選手に仕事と練習の場を提供し、従業員の一体感や企業の社会的存在感を育んできた歴史を持つ。その一方、経営環境の変化や遠征費、人材育成コストによって継続は簡単ではない。

金融機関のテニス部は特に目立ちにくい。だからこそ1989年から続く伊予銀行の活動は、企業スポーツの存続が地域の競技基盤に何を残すのかを考える実例になる。金メダル一つで投入資源の経済効果を測れるわけではないが、競技の成果がはっきり可視化された。

地元で教える活動こそ、次の世代につながる

伊予銀行は公式サイトで、東予・中予・南予でのテニス教室やジュニア強化練習会などを地域活動として挙げる。[4] トップ選手の成功が、競技を始める子どもやその家族に具体的な目標を与える可能性がある。

ただし教室への参加人数が増えたか、県内選手の成績が改善したかという因果関係は別途検証が必要だ。取材すべきは祝賀ムードだけではなく、継続的な指導の機会と、学校・地域クラブの受け皿が整っているかである。

10月6日、金メダルを胸に職場へ戻る

県は10月6日午後に知事表敬訪問の日程を設定した。同日、地元テレビ局は二人が松山市の伊予銀行に戻り、同僚の祝福を受けたと報じた。金メダルを獲得した競技者が、ふだんの職場で迎えられる光景は実業団スポーツならではだ。[1][9]

成績を称えることと、選手が安定して競技を続けられる仕組みを支えることは別である。国際大会の後も銀行での勤務とトレーニング、次の試合に向けた調整は続く。

「52年ぶり」の意味を正確に伝える

地元報道は、この男子ダブルス優勝を日本勢として52年ぶりの金メダルと伝えている。[9] 長い空白を埋めた価値は大きい。ただし「日本が52年間テニスで金を取っていなかった」という意味ではなく、あくまでもアジア大会の男子ダブルス種目に関する比較だ。

愛媛県勢として同競技初の金という地元報道もある。[7] 種目別の記録、所属地、出身地を混同しないことは選手と読者に対する基本的な敬意でもある。

地域金融機関の価値は、融資だけでは測れない

地域銀行は融資や預金だけでなく、雇用、地域企業との関係、文化・スポーツ支援を通じて地元社会に接する。競技活動を支えることには採用・広報上のメリットもあり得るが、銀行の公式資料が掲げる目的はスポーツによる地域振興と従業員の健康増進だ。[4]

実際の経費、選手支援制度、育成成果などを公開データで検証しない限り、金メダルが営業利益を押し上げたといった主張はできない。栄光を冷静に評価することが、企業スポーツへの信頼を高める。

金メダルのあと、愛媛が問われる

楠原・中川組の優勝は、地方に拠点を置く選手にもアジア最高峰の成績を残す道があることを示した。だが次に問われるのは、この結果を一度の祝賀行事で終わらせない仕組みだ。

子どもがラケットを握る場所はあるか。学校を卒業した選手が競技を続ける進路はあるか。県外からも選手が集まる環境は保てるか。名古屋のコートで生まれた金メダルの物語は、松山と愛媛の未来につながっている。

出典・編集上の注記

  1. 愛媛県「第20回アジア競技大会テニス競技男子ダブルス金メダリスト楠原悠介選手及び中川舜祐選手の知事表敬訪問について」
  2. 日本オリンピック委員会「楠原 悠介」
  3. 日本オリンピック委員会「中川 舜祐」
  4. 伊予銀行「テニス部」
  5. 伊予銀行「テニス部 戦歴」
  6. 伊予銀行「創業140周年、そして未来へ」テニス部の沿革
  7. テレビ愛媛「アジア大会で松山拠点の伊予銀行テニス部ペアが金メダル」
  8. 聯合ニュース「男子ダブルス決勝」2026年10月2日
  9. 愛媛朝日テレビ「伊予銀行 アジア大会で金メダルの2人が凱旋」

公的資料・JOC・伊予銀行の公表資料と地元報道を照合。選手への独自インタビュー、銀行の競技活動費の検証は未実施。