魚が寒さや暑さに耐えられなくなったとき、最初に起きる変化の一つが「まっすぐ泳げなくなる」ことだ。名古屋大学と福井大学の研究チームは、その瞬間を人の目ではなくAIで判定する仕組みを開発した。動画から魚の姿勢を追うDeepLabCutと画像分類モデルを組み合わせ、平衡感覚喪失(LOE:Loss of Equilibrium)を自動検出する。熟練した研究者の判定と比べても誤差は研究者同士のばらつきと同程度で、同じ動画なら常に同じ答えを返せる。研究成果は9月10日付の『Scientific Reports』に掲載された。[1] [2] [3] [4]
この装置を使ってメダカの6系統を比べると、寒さにも暑さにも強さの違いが現れた。さらにメダカ属の近縁6種とゼブラフィッシュを加えて寒さへの耐性を比較すると、日本に分布するメダカ(Oryzias latipes)が最も長く平衡を保った。一方、2025年末に新種として記載された北台湾のOryzias cabaranensisは、緯度から単純に予想するより高い耐寒性を示した。AIが見つけたのは「何度まで生きられるか」だけではない。魚の温度適応が、系統、遺伝的背景、生活史、地域環境の組み合わせで決まる複雑な性質だという輪郭である。[4] [10]
「倒れたかどうか」を人が何時間も見続けてきた
魚の温度耐性を調べる代表的な方法の一つに、critical thermal method(CTM)がある。水温を連続的に変えながら、魚が平衡を保てなくなるなど、死に至る前の指標を測る。LOEはその代表的な終点である。死亡そのものを待つ試験より動物への負担を抑えやすく、温度耐性研究で広く使われてきた。[4]
問題は判定だった。魚が体を傾け始めた瞬間は必ずしも明瞭ではない。研究者が長い動画を見続ければ、疲労や経験差が入り込む。個体数が増えれば観察時間も増える。わずかな系統差を比べたいとき、人による判断のばらつきが測りたい生物学的差と同じくらい大きくなる可能性がある。
今回のチームは、LOEを「上から見ていた二つの胸びれのうち一方が見えなくなり、魚が横に倒れ始めた時点」と操作的に定義した。つまりAIは「魚の苦しさ」を抽象的に推測しているのではなく、研究者が決めた具体的な姿勢変化を動画から再現性高く見つけている。[4]
DeepLabCutが7点を追い、ResNetが「正常かLOEか」を判定
システムは二段階で動く。まずDeepLabCutが、魚の鼻、左右の胸びれ、体の中央、前後の体幹、尾という7つのキーポイントを追跡する。DeepLabCutは2018年に『Nature Neuroscience』で報告された、マーカーを動物へ装着せずに動画から任意の体部位を追跡する深層学習技術で、動物行動研究に広く使われるようになった。[7]
今回の実験では、48区画に分けたアクリル水槽を恒温器に入れ、上からカメラで撮影した。複数個体を一つの画面で追う際の誤検出を減らすため、画像を各区画に分割し、影除去、彩度除去、コントラスト強調などを状況に応じて適用した。キーポイント検出にはResNet50系のバックボーンを用い、学習画像は1,560枚、テスト画像は174枚だった。[4]
次に、動画フレームそのものを読むResNet34ベースの画像分類モデルと、7点の座標・信頼度を組み合わせる。各フレームについて「正常=0」「LOE=1」の確率を出し、30秒の移動平均と後処理を加えて、0から1へ切り替わる時点を最終的なLOE時刻とした。姿勢点だけでなく魚全体の画像も使うことで、胸びれの消失や体の傾きといった複合的な変化を拾えるようにした。[4]
AIは「専門家を超えた」のではなく、専門家同士の差の中に入った
自動化技術で最も重要なのは、判定速度より「何を正解としたか」である。研究チームは50個体の動画について、実験を担当した熟練研究者1人のLOE判定を基準に、AIと12人の未経験者を比較した。
AIと基準研究者の平均絶対誤差(MAE)は9.1分、二乗平均平方根誤差(RMSE)は16.4分、順位相関は0.85だった。AIは平均すると基準研究者より6.6分早くLOEを検出する傾向があり、完全一致ではない。[4]
しかし12人の未経験者の中央値と基準研究者との差はMAE 11.3分、RMSE 18.4分だった。さらに、もう一人の熟練研究者と基準研究者との差もMAE 9.5分、RMSE 18.0分。つまり、AIの誤差は「二人の熟練者が同じ動画を見ても生じる差」と同程度だった。研究者はこれを、専門家レベルの判定を再現可能な形で大量処理する利点と位置づける。[4]
6系統で見えた、意外な温度耐性
研究チームはまず6つのメダカ系統を調べた。南日本系統のOryzias latipes由来のHdrR-II1、HO5、HB11A、北日本系統として扱われてきたOryzias sakaizumii由来のHNI-II、そして実験室系統d-rR/TOKYOとOK-Cabである。いずれも成魚を26℃で飼育し、実験前に1時間順化した。[4]
低温側では、恒温器設定を26℃から2℃へ変更した後、平均LOE時間はHNI-II 86.8分、HB11A 89.4分、d-rR/TOKYO 92.3分、OK-Cab 101.6分、HO5 106.7分、HdrR-II1 112.3分だった。HdrR-II1は最長だったが、統計上は一部の系統と差が重なり、「唯一最強」ではなく最も耐寒性の高い群の一つと表現するのが正確だ。[4]
高温側では、設定を26℃から55℃へ変更し、HNI-IIが89.1分で最も短く、HdrR-II1が105.8分で最も長かった。ただし多重比較で有意差が出たのはHdrR-II1とHNI-IIの組み合わせだけで、それ以外の系統間差は明確とはいえなかった。[4]
| 系統 | 低温試験 | 高温試験 |
|---|---|---|
| HNI-II | 86.8分 | 89.1分 |
| HB11A | 89.4分 | 98.0分 |
| d-rR/TOKYO | 92.3分 | 94.4分 |
| OK-Cab | 101.6分 | 99.4分 |
| HO5 | 106.7分 | 96.0分 |
| HdrR-II1 | 112.3分 | 105.8分 |
北の系統HNI-IIが、なぜ寒さに弱く見えたのか
ここには一見した矛盾がある。過去の研究では、HNI-IIなど北日本由来の系統の細胞が低温で増殖しやすい、あるいは胚の心拍が低温で安定するといった結果が報告されてきた。ところが今回の成魚LOE試験では、HNI-IIの平均時間は寒冷側でも高温側でも最短だった。[4]
著者らは、この違いを生活段階と測っている現象の違いから説明できる可能性を挙げる。培養細胞や胚では、膜の流動性、タンパク質の安定性、心筋の性質など比較的局所的な反応を測る。一方、成魚が姿勢を保てなくなるLOEは、神経系、筋肉、心血管系などが統合された全身反応である。北方由来だから成魚のあらゆる低温指標で必ず強い、とは限らない。
さらに今回の系統比較には、O. sakaizumii由来がHNI-IIの1系統しか含まれない。著者らも、今回の6系統だけで北方・南方系統全体の耐性を代表させることはできず、より多様な系統を調べる必要があると明記している。[4]
種を越えて比べると、日本のメダカが最長
次に研究チームは、系統ではなく種の違いを見た。O. latipes、O. sinensis、O. cabaranensis、O. curvinotus、O. luzonensis、O. celebensis、O. javanicusのメダカ属7種に、モデル魚ゼブラフィッシュ(Danio rerio)を加え、低温試験を行った。
O. latipesは特定の純系ではなく、野生型のアウトブリード集団を用いた。平均LOE時間は145.0分で、試した全種より有意に長かった。次いで北台湾のO. cabaranensisが106.0分、O. sinensisが99.2分だった。この2種間には有意差がなかった。O. curvinotusは72.8分、ゼブラフィッシュ66.9分、O. luzonensis58.8分、O. javanicus53.5分、O. celebensis47.7分だった。[4]
全体として、高緯度に分布する種ほど寒さに強い傾向が見えた。ただし、その関係は直線ではない。O. cabaranensisとO. sinensisは分布緯度の割に耐寒性が高く、著者らは緯度以外の局所環境や系統史も関わる可能性を指摘している。[4]
2025年に名前がついたばかりの台湾のメダカ
Oryzias cabaranensisは、この研究の「例外」をさらに面白くする。2025年12月、台湾北部から新種として正式記載された魚である。台湾では長くO. latipesまたはO. sinensisと考えられてきたが、形態比較などから独立種とされた。種小名cabaranensisは宜蘭の旧称「噶瑪蘭(Cabaran)」に由来し、台湾側では「噶瑪蘭青鱂」と呼ばれる。[10] [11]
今回の実験で使われたO. cabaranensisは3個体と少数である。それでも平均LOE時間は、より南方に分布する複数の近縁種より長かった。これは「新種だから特別な耐寒遺伝子がある」と証明したものではない。むしろ、新しく整理された種の系統史と北台湾の局所環境を、今後遺伝学的に比較する価値を示した結果といえる。
メダカは「小さい魚」ではなく、日本が育ててきた遺伝学資源
メダカを使う利点は、扱いやすいだけではない。日本では長く実験動物として系統保存と遺伝学研究が積み重ねられ、2007年には全ゲノム概要配列が『Nature』に報告された。国立遺伝学研究所のDDBJは当時、約7億塩基を解読し20,141遺伝子を同定したと紹介している。[8]
現在はナショナルバイオリソースプロジェクト(NBRP)メダカが純系、突然変異系統、近縁種などを維持し、研究者へ提供している。今回使われたHdrR-II1、HNI-II、d-rR/TOKYO、OK-Cab、HO5、HB11Aと近縁種の多くもNBRPから供給された。系統間交配ができ、ゲノム情報と生体資源がそろっているため、「耐寒性の差」を見つけた次に、その差を生む遺伝子領域を探す前向き遺伝学へ進みやすい。[4] [9]
AIは気候変動を予測したわけではない
大学の発表は、将来この技術が気候変動による魚類への影響予測に貢献することを期待するとしている。そこは「今回証明したこと」と分けて読む必要がある。今回の研究は実験室で、限られた系統・種を一定条件で比較したものだ。河川や水田、沿岸域では、日周変化、季節、溶存酸素、塩分、餌、病原体、流速など多くの要因が同時に働く。
さらに種間比較のサンプル数は、O. celebensisとO. cabaranensisが各3個体、ゼブラフィッシュとO. luzonensisが各4個体など、小さい群もある。今回の数値をそのまま野外個体群の絶滅リスクへ変換することはできない。[4]
それでも自動LOE判定の価値は大きい。同じ基準で多数の個体、系統、世代を測れるなら、遺伝子型、飼育温度、成長段階、季節順化などの条件を組み合わせた大規模実験が現実的になる。気候変動への応用は、一つのAIモデルが未来を予言することではなく、これまで人手では測り切れなかった生物学的ばらつきを高い再現性で集めるところから始まる。
魚が傾く一瞬から、適応の遺伝子へ
中山友哉(なかやま・ともや)特任講師は、温度適応、季節適応、動物生理学、分子生物学を研究分野に掲げる。福井大学の長谷川達人(はせがわ・たつひと)准教授は、行動認識と深層学習を専門とする。今回の研究は、生物学側が「何を測りたいか」を定義し、情報工学側が「どうすれば同じ基準で大量に測れるか」を形にした共同研究でもある。[5] [6]
次の問いは、LOE時間の違いを生む分子である。HdrR-II1とHNI-IIの差はどの遺伝子に結びつくのか。冷たさへの耐性と暑さへの耐性は同じ仕組みなのか。胚と成魚で結果が逆転するのはなぜか。台湾のO. cabaranensisが比較的寒さに強い背景には何があるのか。
AIが今回したことは、魚の能力を「理解」することではない。研究者が長年目で見てきた小さな瞬間を、再現可能な数字へ変えた。その数字をメダカの豊富な遺伝資源と結びつければ、温度への強さという曖昧に見える性質を、遺伝子、細胞、器官、行動へと分解していける。魚が傾く一瞬は、気候への適応を読み解く入口になった。
- 名古屋大学:AIで魚の「バランス喪失」を自動検出(2026年9月11日)
- 福井大学:AIで魚の「バランス喪失」を自動検出(2026年9月11日)
- 科学技術振興機構(JST)共同発表:温度への強さを客観的に測る新システム(2026年9月10日)
- Matsuo et al., Scientific Reports:DeepLabCut-based automated system reveals diverse temperature tolerance among medaka strains and related Oryzias species(2026年9月10日)
- 名古屋大学:中山友哉特任講師プロフィール(氏名読み、研究分野)
- 福井大学工学部:長谷川達人准教授プロフィール(英文氏名、所属)
- Nature Neuroscience:DeepLabCut初報、markerless pose estimation(2018年)
- DDBJ:メダカ全ゲノム概要配列のNature掲載(2007年)
- 基礎生物学研究所:メダカを用いた視覚・行動研究とNBRP資源
- Zootaxa:北台湾から記載された新種 Oryzias cabaranensis(2025年)
- 台湾農業部生物多様性研究所:Oryzias cabaranensis(噶瑪蘭青鱂)の新種確認と分類史
編集注:本研究が直接評価した主指標は「LOEまでの時間」であり、自然環境での生存限界温度や気候変動による絶滅リスクを直接測定したものではない。高温・低温試験の「2℃」「55℃」は恒温器の設定変更値で、魚が直ちにその水温へ移されたことを意味しない。種間比較にはn=3~8の小さい群が含まれる。中山友哉(なかやま・ともや)特任講師、長谷川達人(はせがわ・たつひと)准教授の氏名・読み・所属は大学一次情報で確認した。
